今回はコロナウィルス感染拡大の影響で3月に予定していた読書会を中止させて頂きました。
不可抗力であるコロナウィルスの影響とは言え、時間を空けて頂き楽しみにして頂いた方々には大変申し訳なく思っています。また主催の私としても楽しみにしていた読書会がなくなってしまい、悲しく思っています。
ささやかな代わりとして、3月の読書会に参加を予定していた方々に対してgoogleのアンケートフォームを送り、紹介する予定だった小説を集めました。
ご参加頂いた方々、誠にありがとうございました!
17名、24冊の本が集まりました!
(参加申し込みをして頂いた方々の3分の1程度がご協力頂いた印象です)
紹介された本を拝見すると、主催としても読んだ本があったり読んでみたい本があったり、詳しく話を聞いてみたい本があったりと、実際に会って話したかったです。
政府が緊急事態宣言が発出し、外出ができず、コミュニケーションが減ってしまっている方々も多いと思います。
またニーズがあればこのような企画をしてみようと思っています。
では以下、紹介された小説及び感想を公開してもよいと感じた方々の感想になります!
「ザ・ロード」コーマック・マッカーシー
友人からプレゼントされた一冊で積ん読の中にあり、このコロナウィルスが流行り始めた3月半ば、ディストピア的なものが読みたくて手に取った。読み始めから夢中で読んだ。映画は見ていたので内容はわかっていましたが、小説のほうが断然よいと思いました。この作品の良さは小説ではないと伝わらないと思います。何が起きたか明示はされないが、地球に致命的な何かが起き、崩壊してしまった後の世界を父と子は旅をする。子は崩壊後に生まれたので、輝かしい過去を知らない。冬が近づき、このままでは冬を越せず死んでしまうので、2人は暖かさを求めて南へ南へ移動をする。荒廃した世界では、無法者が強く、誰も信用できず、信用どころか助ける余裕さえ2人にはない。自分はこの小説の良さは、この子どものイノセンスと世界の絶望の対比だと思いました。会話文が「」で示されていなく、ちょっと詩のような形で示されます。その会話の内容から子どもの、こんな過酷な世界で生きているのに無垢さが伺え、もちろんそれは育てている父に由来するもので、そして世界の描写は淡々と悲惨な世界を描いている、その対比がとても胸を打ちました。このイノセンスと絶望の同居がたまらなかったです。そして、毎回ハラハラするのが、途中で家があったり周囲に何かありそうだと父が様子を見に行き、そのとき子と離れるわけで、その度に何かあるんじゃないかと思ってしまうところです。何かあってどちらか死んでしまうのではないかと毎回思いながら読み進めていました。合流すると毎回本当に安堵していました。ラストはハッピーエンドなのかどうなのか判断がわかれるし、自分はどっちでもないと思いましたが、読了して、とても愛に溢れていた作品だと感じました。それでけは間違いないです。
「愛のゆくえ」リチャード・ブローティガン
リチャード・ブローティガン作品を読むのはこれで3作目になります。読書仲間からお借りしているもので、ブローティガンは可能な限り、手に入る限り読もうと思っている作家です。この作品も含めてブローティガンは不思議に退廃的で、どこか終わりの匂いがする作品で、その感じがたまらなく好きなんですが、これはちょっと前に読んだ2作「西瓜糖の日々」と「アメリカの鱒釣り」とは違う感じがしました。割とストーリーの筋がはっきりしているし、展開もまあ読めます。他の2作に比べて入りやすい作品だなあとは思いました。ストーリーは、主人公は特別で不思議な図書館に1人きり住み込みで勤務しています。その図書館は人々が自ら書いた、何かの感情の吐き出し口として書いた小説が持ち込まれ、保管するための場所。主人公は24時間、深夜だろうが早朝だろうが本が持ち込まれたら対応する。そしてどんな訪問者にどんな本を書いたのか、どの棚に入れたらいいかなど話を聞き、話す。そんな風に穏やかに過ごしていたときに、どんでもない美人が訪問してきた。彼女は自身の完璧過ぎる容姿を憎んでいたが、主人公と関係を持ち、救われる。が、彼女が妊娠してしまい、堕胎のために主人公はずっと出ていなかった外の世界へと出ることになる。前半のテンポ、描写、表現、文体すべてがかなり好みで、すごい好きな作品だと思っていたら後半ちょっと期待しすぎたのか、盛り上がったテンションが落ち着いていきました。面白かったけど、なんか気持ちがふわっとしてしまい、やや不満感が出てきましたが、その感じも含めて読んで面白かった作品です。もう何冊かリチャード・ブローティガを読んでから読みたかったかも。
「ブルックリン・フォリーズ」ポール・オースター
アメリカ文学を代表する作家であるオースターの2006年に発表された小説です。 「私は静かに死ねる場所を探していた。」という一文から始まります。主人公はネイサンという初老の男性。彼は末期のガンにかかっていて余命いくばくもなく、子どものときに暮らしていたニューヨークのブルックリンに戻ってきます。一人孤独に生活をしているネイサンですが、ある日立ち寄った古本屋で、昔可愛がっていた自分の甥であるトムに出会う。トムはかつてのエリートで、今はしがない古本屋の店員になっていました・・・ というストーリーですが、ネイサンはトムと関わりを持つことで、様々な事件に巻き込まれていきます。トムの恋人探し、トムの勤め先の古本屋を巡る怪しい取引、そして謎の少女ルーシー。人とつながることで、希望を見出し、人生をやり直そうとする主人公の姿が感動的です。また、ネイサンとトムの関係に注目すると、この小説はまるでニューヨーク版「男はつらいよ」です。人生の酸いも甘いも味わい尽くしたネイサンが、甥であるトムを温かく見守り、導きます。 文章も流れるようなリズムで心地よく、ユーモアもあるため、オースターの小説を読んだことのない方、また、オースターは暗くて苦手だという方にもオススメです。 ちなみにタイトルのフォリーズとは、「愚行」「愚かさ」のことで、不完全な(だけど魅力的な)登場人物たちの愚行録と言う意味だと思います。
「空気の名前」アルベルト・ルイ=サンチェス
吉祥寺の古本屋に立ち寄ったときにたまたまみつけた一冊です。 「空気の名前」というタイトルに惹かれて手に取りました。開いてみると章題も良かった。そして書き出しを読んですぐに買うことにしました。 『そんなふうに見ていては、水平線は存在しない。視線が水平線を作るんだ。まばたきするたびに崩れる一本の糸。』 書き出しだけでも解ると思いますが、この小説なかなか厄介でした。ストレートに言うと、理解できなくて再読することになりました。 二度も読みきったはずなのに、未だにすべてを理解できていません。 軽くあらすじを >>>小さな港町、モガドール。海辺の家の窓からぼんやりと外ばかりを眺めている不思議な少女、ファトマは、公衆浴場でカディアという一人の少女と出会う。様々な感情の渦巻きがモガドールの町に漂い、ファトマの日常を歪に染めていく<<< モガドールは架空の町、幻想の町でありながら、そこに住まう人々は現実を生きています。小さい町ならではの閉塞的な空気の淀み、排他的な人々の視線。普通であることを己に命じて、普通でないものをみて忌み嫌う。それは恐らく不安があるから、忌み嫌っているポーズを取ることで、自分が普通であると安心したいから。 無垢な少女の世界では、それは窓の外の世界だった。だけど自身も自分の変化に気付いてしまった。その変化が何なのか、あるいは自分が変化してしまうことに対しての恐れや不安がこの感情なのか。 いや、なんかそんな小説でもないんですけど… カディアと「出会う」と書きましたが、実際には「見かける」ぐらいが正しいかと。あのとき見かけたカディアのことが気になって悶々としてしまう。また会いたいと探すけれど、もう二度と会うことはないんです。 なんというか僕自身が理解しきれてないので、説明がすごく難しいです。好きか嫌いかで言えばこの小説は好きだし、またいつか読み直したいと思える一冊ではあるんですが…。 何度読み返してもいまいちわからない文章が多すぎます。たとえば 「あなたはもう私の夢のなかで私の夢を見るという夢を見てはいけない」 ???ってなります。かまいたちのM1ネタを思い出しました。濱家が叫びたくなるのもわかります。 訳者あとがきで書いてあったんですが「散文詩のような文体で書かれているため、最初は小説と認められず、出版にこぎつけるため時間がかかった」らしいです。そりゃそうだろう、と言いたい。 ただモガドールの幻想的な町並みとか(文章が幻想的なだけかもしれませんが)凄く好きなんです。光の使い方なんかも幻想的な光景に拍車をかけています。これで文章の意味さえ理解できていればと、自分の読解力の低さを嘆くばかりです。
「手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ」藤田祥平
あまりにも素晴らしい小説でした。この一冊を最後まで書ききった藤田祥平さんを僕は心から尊敬し、また心から羨ましいと思ってしまいます。 長編デビュー作にして、彼のこれまでの人生をすべて捧げた一冊。小説家としての彼の人生は始まったばかりもしれませんが、すべての小説家の本懐がここにあるのではないでしょうか。 ──ネットゲーム『Wolfenstein』にはまり高校を中退、母親の自殺、自身の鬱を経て、大学で創作を学びつつ、星系間戦争ゲーム『Eve Online』で海外列強企業と対峙した日々。文学とゲームに彩られた驚異の半生。人生という正解のない道のりを自ら選択し歩み続けた一人の青年の自伝的青春小説── 「母がリビングで首を吊ったとき、僕は自室で宇宙戦艦を率いていた」帯に書かれた衝撃的な文章。文章の上手さもさることながら、彼の送ってきた壮絶な人生に心を奪われてしまいました。 僕の敬愛する小説家の先生が、一昨年の暮れに「今年読んだ中で一番印象的だった本」として紹介されていました。「自分にしか書けないものを見事に書ききった小説」と評していましたが、まさにその通りだと思います。この小説を読んで本当に良かった。そう思える作品に出会えることは多くの読書家にとって喜ばしいことだと思います。僕にとってこの作品はまさにその一冊であり、今後なんども読み返すことになるであろう一冊となりました。 藤田祥平という一人の青年の青春時代はあまりにもいろいろありすぎた。周りの大人たちが敷いて点検され安全が保証されたレールの上を僕がトコトコと歩いているとき、彼は自らの手でレールを敷き点検し進んでいた。そこには整備不良があったのかもしれない、より過酷な方向へと進んでいったのかもしれない。しかし彼は確かに自分の手で道を切り開いていく強さがあったのだと思います。 そんな彼が大きく道を踏み外さなかったのは、ひとえに周りの恵まれた環境あってのことだと感じました。比較的裕福な家庭に産まれ、理解ある父親にその背中を押されたことが彼にとってどれだけ幸福だったことか。そして父親の言葉がどれだけ彼の人生に影響を与えたことか、僕には知る由もないです。しかし父親という存在において、彼はあまりにも見事な父親像そのものでした。 この物語において、一番悲惨だったのはやはり母親なのだろうと思います。帯にも書かれている通り、彼女は自ら命を断つことになります。誰よりも家族のことを想い、そしてこの世の不条理に誰よりも心を痛め、一人で闘っていた彼女。藤田さんの人生において、語られるべくして語られるその物語は、最後まで彼女の姿を彷彿とさせ、僕の脳裏から離れることはありませんでした。 ネットゲームに青春を捧げた主人公。後半には鬱にかかり、ゲームと現実が曖昧になっていく様が描かれ、それがあまりにもリアルで、休憩を挟みながらでないととても一気には読めなかったです。ゲームと現実、現実と小説。生と死との狭間に立つ彼の混沌とした日々。そして彼を支えた、寄り添った、あるいは競いあった、藤田祥平という青年を構築したすべての人々との交流。圧巻のラストでした。 僕がこの小説にここまで虜になってしまったのは、生きてきた年代が限りなく近いからに思います。そして共通点も多かった。小学生のころのポケモンブームから始まり、様々なゲームに夢中になっていった日々。そしていま、僕も文学という世界に身を沈めています。彼は中学一年のときにカフカの「変身」を読んで呪いが始まったと言っています。僕が初めて読んだ海外小説がカフカの「変身」であったならば、彼と同じように絶望に叩きつけられたのかもしれません。当時は特に読書好きでもなかった僕が、教室の後ろにあった本棚からなんとなく取ったのがヘミングウェイの「老人と海」であって本当に良かったと思いました。 あまりに美しい本編を読了したあとの謝辞が、これまた美しすぎた。生きる選択をした彼からの、心からの感謝に溢れています。 藤田さんが、これから本腰を入れて小説家という道を進むにあたって、この自伝的な作品を最初に書いたことにはとても意味があると思いました。それは読者にとってはもちろん、なにより作者自身にとってとても大切なことのような気がします。彼には一度、自分の半生を改めて振り返り、考え直す時間が必要だったのではないでしょうか。 藤田祥平さんの次回作はファンタジーの三部作だそうで、発売日すら決まっていませんがとても楽しみです! 最後に、ゲームボーイ時代からのポケモンに熱中していた世代。主に20代、30代前半かと思いますが、その方々にはぜひ一度読んで欲しいです。
「ワン・モア・ヌーク」藤井 太洋
3月8日に一番紹介しようとしてた一冊です。なぜかといえば、この話が2020年3月6日からの5日間の物語だから。 「ワンモアヌーク(核をもう一度)」 2018年にイスラム国で核実験が行われているプロローグの後、ISで科学者だった男が入国するところから話が始まります。それを手引きしたのが一人の若い日本人女性実業家。彼女が「犠牲者のいない核テロ」を「新国立競技場」で計画したのには、福島放射線汚染後のある出来事がきっかけでした。 物語はテロリスト側、入国に気がつき独自調査をするCIA、別の事件からたどり着く警視庁の3チームが別々に時系列に沿って語られます。テロリスト側も一枚岩でないところが話の面白さに拍車をかけ、絡み合って予定日の「3月11日午前0時」へと進んでいきます。 外国人労働者の受入れが現実よりも開かれているという設定以外は同じ日本で、読んでいて現実と混同していまうリアルさが魅力です。 陰鬱さや停滞さではなく、今までにないスタイルの3.11後の文学であり、風化しつつあった核問題について新しい側面からの提案をしているように思います。 誤解のないように言っておくと、物語に政治な要素は一切ありません。ただ現実に起こりうる諸問題を通して色々と考えさせられます。 2月に発売したのに、すぐに時日が物語に追いついてしまうのも面白いですよね。同じ日付は過ぎてしまったけれど、現実の世界と物語の世界の共通性、鮮度のあるうちに読むことをおすすめしたい一冊です。
「世界と僕のあいだに」タナハシ・コーツ
これは170ページにわたる長い手紙であり、この会で紹介するにあたって、小説と言うよりはエッセイと言ったほうがいいかもしれません。2015年にアメリカで出版、ベストセラーとなった本で、40歳に近い著者の半生をベースに、アメリカで黒人が暮らすということを息子に宛てて綴る、というテイストで書かれています。 実際に黒人の友人が射殺され、犯人であった警官が裁判で罪を問われなかった事件を話の核としています。アメリカは国民の自由と平等の国、と思っていました。しかし本書では、それは白人によって築かれたもので、黒人はその歴史を支えてきた資源に過ぎず、今でも死と隣り合わせの中で暮らしていることがひたすら物語られています。 子供に向けて優しい口調の一方、最初から最後まで詩的で訴えかけてくる文章で、衝撃的なシーンも多く、個々に紹介できないのが残念です。(タイトルで検索すると出てくる特設ページもおすすめです。) 人種をテーマとした他の作品を理解する上でもおすすめしたい一冊です。
「傲慢と善良」辻村深月
まず最初に、お勧めする人を選びます。割と真摯に婚活されている方、恋愛や結婚にちょっと焦りがある方は、読まないほうがいいのでは?と思うくらいグサグサくる内容があります。紹介者自身、4、5年前くらいは婚活をしていたので、当時読んでいたら(精神的に)死んでいたんじゃないのか・・・と思うほどの衝撃を受けました。 あらすじとしては、第一章で婚活を経て出会った真実(マミ)が忽然と姿を消します。彼女の居場所の手がかりを掴むため、婚約者の架(カケル)が彼女の家族や昔の友人や同僚、婚活中に出会った男性たちなどに話を聞いていきます。第二章では姿を消した真実側の視点から、彼女自身の生い立ちや架との日々、架の前から姿を消してからが描かれ、違う視点で真実の過去が2回描かれています。 まず圧倒的にすごかったのが「婚活」のリアルさ・・・!改めて考えると「婚活」って結構独特な世界だと思います。タイトルの「傲慢と善良」とは、ストーリーの中で婚活をしている人たちの性質をざっくりまとめた言葉なのですが、もうまさに!!と共感が止まらない(笑)かつ自分もそうだったので自意識も止まらないです・・・。しかもそこで私が感じ、数年間モヤモヤーっとしていた感情などが全て言語化されていて、それが腑に落ちるという凄さ・・・。さらに真実というキャラクターは、良くも悪くも現代の本当に「普通」の家族、進路、就職、友人などを持った「いい子」な社会人女性として描かれています。彼女の人生を構成する、様々な要素を選択してきた過程や考えもとてもリアルです。今までの選択が真実自身の人生や価値観を構築し、今度はそれが婚活市場での彼女の価値として捉えられたり、今回の姿を消すことへもつながっていく流れが素晴らしいです。 この本は「圧倒的『恋愛』ミステリ」と紹介されていますが、私としては「社会的恋愛ミステリ」とご紹介させていただきたいです。現代の社会人の恋愛は(特に婚活も含めると)仕事や親子関係、恋愛観、人生観、自意識だとか、恋愛というすごく個人的なものが、どうしても社会的なものとも絡んでしまい、それがどうにもならないややこしさを生んでいるという面もすごく丁寧に描いています。また架という、真実とは違う性質の男性視点で進む章の分量が多く、「恋愛小説」の大枠からはいい意味で外れていると思うので、恋愛小説に興味のない方や男性にもオススメです!(あとは、辻村さんが描く「自意識」が好きな方は好きだと思います) でも実はツッコミたい箇所もいくつかあり(笑)、皆さんの感想も聞きたいです!!読んだ方は、次回以降の読書会でぜひ声をかけてください!
「大聖堂」レイモンド・カーヴァー
今回紹介したいのは、レイモンド・カーヴァーというアメリカ人作家の『大聖堂』という短編集です。 ここではこの短編集の中から、『コンパートメント』という作品に絞ってお話ししたいと思います。この作品は20ページにも満たない非常に短い話ですが、ある男の人生が切り替わる瞬間を、象徴的な表現を用いながら見事に切り取ったとても優れたものだと感じました。 一人の中年の男(マイヤーズ)が、イタリアからフランスへと向かう夜行列車に乗っています。彼は、フランスのストラスブールに住む、自らの離婚によって離れ離れになった息子に十数年ぶりに会いに行くところです。もっとも、彼の気持ちは迷いと苦々しさに満ちたものでした。なぜなら彼は、自らが妻と離婚したのは息子の存在が原因だったと思っているからです。息子が夫婦の問題に口を出し、妻を振り回したことで、愛していた彼女をアルコール中毒者に変えてしまったと考えていました。今回、息子がストラスブールの大学に通うことになったことがきっかけで、父と子の間で初めて手紙のやり取りがあり、気持ちの整理がつかぬまま、親子の対面が果たされることになっていました。 マイヤーズは夜行列車の中で眠れぬ夜を過ごしていました。ある時、ふとトイレに立って、席に戻ってみると、うっかり置きっぱなしにしてしまったコートの中にあった「時計」がなくなっていることに気づきます。それは、息子へのプレゼント用にイタリアで買った高級時計でした。マイヤーズは同じコンパートメントに乗っていた唯一の男(=眠っていた男)を疑い、詰め寄ります。しかし男は英語が分からなかったため、マイヤーズは仕方なく一旦諦めて、車掌を探すため別のコンパートメントに向かいます。別のコンパートメントでは、マイヤーズと同じくらいの年格好の男を見つけました。マイヤーズが疑って覗き込むと、男は「凶暴な目」で睨み返しました。結局マイヤーズは車掌探しも諦めます。そして気づくとストラスブールの駅が近づいていました。彼は迷ったあげくに、息子との約束をすっぽかして、そこで降りないことに決めます。ストラスブールに着くと、マイヤーズが疑った同じ客室の眠っていた男は、何も知らないはずなのに、ひとこと、「ストラスブール」とマイヤーズに告げて降りていきました。 ストラスブールでは、入れ替わりでまた別の若い男(=新聞紙を持った男)が乗ってきます。新聞紙の男は、恋人に見送られながらマイヤーズの客室に入ってきました。マイヤーズは苦々しく彼らを見ていました。マイヤーズと新聞紙の男を乗せて、やがて列車は動き出しましたが、少し進んだところで唐突に停まってしまいます。驚いたマイヤーズは、事情を掴みに、別のコンパートメントに向かいます。しばらくいったところで大きな連結音を聞き、彼は気づきます。ここは操車場であり、新しい車両が連結されたことを。彼は慌ててもといた客室に戻ります。しかしそこでは全く知らない男達が陽気に談笑していました。自らのスーツケースも、新聞紙の男の姿もありません。彼は理解しました。彼がいたコンパートメントが切り離されて、全く違う、新しい車両が連結されたことを。陽気な男達は、空いている席をマイヤーズに勧めます。彼は静かに、新しいコンパートメントを受け入れることにしました。 長くなりましたが、こんなお話です。非常に印象的で、示唆に富んでいます。ここから、私の個人的な解釈を書かせていただきます。この話は、登場する物や人物が、すべてマイヤーズと繋がっていく物語だと考えます。まず、私は、盗まれた息子へのプレゼント用の高級時計が、「マイヤーズの青春の時間」の象徴だと解釈しました。彼は、美しく、輝いた時間を、なくした、さらに言えば「盗まれた」と感じています。そして盗んだのは誰か。彼が疑ったのは、同じコンパートメントの「眠っていた男」です。この男は、マイヤーズが、自身の美しく輝いた時間を盗んだと感じている、彼の息子のメタファー(重なる人物)だと考えます。眠っていた男は、文字通り、マイヤーズが席を立った時に眠っていたし、言葉すら分かりません。マイヤーズはそんな無力な存在に対して、時計を盗んだ(=妻との関係を壊した元凶)という疑いをかけて、犯人扱いしているのです。マイヤーズ自身も、そんな矛盾におそらく無意識的に気づいています。それが、マイヤーズと同じくらいの年格好の「凶暴な目の男」としてあらわれます。彼は今のマイヤーズ自身です。彼は彼自身にも一応疑いの目を向けます。しかしその男は「おれのせいなわけないだろう」と睨み返すのです。最後に、「新聞を持った男」の存在です。彼は、若き日のマイヤーズ自身であり、ストラスブールで降りた場合の(パラレルワールドの)マイヤーズだと思います。マイヤーズは、そんな若き日の自分自身と、約束を果たして息子と会った自分を、スーツケース(=今までの自分が身にまとっていたもの)とともに、切り離されたコンパートメントに置いていきます。そして、どこに向かっていくか分からない新しいコンパートメントに乗り込むのです。 以上、自分なりの解釈を大幅に交えて、レイモンド・カーヴァー『大聖堂』(の中の『コンパートメント』)を紹介させていただきました。奥行きのある素晴らしい短編集ですので、自粛期間中のおともとして、ぜひおすすめさせていただきます。
「芥川龍之介全集6」芥川龍之介
高校生のときに、芥川龍之介の『河童・或阿呆の一生』を読んで衝撃を受けて以来、芥川龍之介の特に後期の作品が好きです。 ‟蜘蛛の糸”とか‟羅生門”、‟地獄変”など教科書に載るような有名な話も好きですが、それらとは違った頽廃的でダークな印象を受ける後期作品がとにかくおそろしく好みで、特に『河童』から感じる異様な圧力は何度読んでも理解しきれず、底知れなさを感じます。今回は全集のなかでも一番おすすめの『河童』を紹介させていただきます。 『河童』は或る精神病院の入院患者が語る、河童の国での体験談です。簡単に言うと、日本版‟不思議の国のアリス”に近いとわたしは思います。山中で道に迷い、河童の国へ入り込んでしまった人間が河童の国の独特な文化に面喰いながら徐々に慣れて友人をつくり、色々な経験を積んでいく冒険譚で、すこしうす気味悪く滑稽な世界観は、あの独特な‟アリスの世界”と似た雰囲気があります。暫くして人間の世界に戻りたいと思った主人公は河童の国から脱出しますが、その後彼は、逆に河童の国へ‟帰りたい”と思うようになり、狂人とみなされ精神病院へ入院させられてしまいます。当時の芥川龍之介の生きた時代に対する痛烈な風刺や、芸術、哲学、政治への芥川流の思索が、河童の国という架空の世界を通して微細に描かれるこの小説は、短編と思えないくらい密度が濃く、何度も読み返してしまう、わたしにとって魔性の作品です。 ちくま文庫の『芥川龍之介全集6』は、河童を含め後期の作品がたくさん掲載されていて、新潮社版にはない作品も多いので気に入っています。内容が濃いので、まだわたしも読み切っていないのですが…。
「楡家の人びと」北杜夫
割と最近読んだ小説です。『どくとるマンボウシリーズ』や『輝ける碧き空の下で』、『夜と霧の隅で』など、北杜夫の小説は結構好きですがなかなか三部作には手が伸びなくて、この間ついに読み切りました。 『楡家の人びと』は北杜夫の自伝小説で、もちろん創作が入りますが、ベースになっているのは北杜夫自身の家族とその生涯です。著者の祖父の代から自身の少年~青年期と周囲の家族の人生を三代に渡って辿り、関東大震災、太平洋戦争とその終結という激動の時代を、ひとつの家族の視点から生々しく描き出します。『輝ける碧き空の下で』で、世代を経て苦難の道のりを歩まされたブラジル移民たちの生涯をページを捲るのをためらうほど詳細に炙り出していたことは覚えていますが(この本は紛れもない名作と思っていますが、残念なことに絶版になってしまったようです…)、この『楡家の人びと』は自身の家族がモデルだけあって、‟家族”というある種狂った集団、他者には見せない異常な癖や文化をリアルに描いていて、当人たちにとって‟当たり前の日常”が他者から見れば異常であるということを突きつけてきます。とはいえ内容は全然堅苦しくなく、むしろ笑ってしまうような滑稽な場面が多く、深刻で陰鬱な時代でも、個人は個人として生活があり生きていたのだという当然のことを、思い知らされました。 ちなみに、本筋に関係ないですが作中に出て来る徹吉こと北杜夫の父、斎藤茂吉は、院長を務める青山脳病院で芥川龍之介の診察を行っていたそうです。1冊目で紹介した全集、または新潮社版にも収録されている『歯車』という短編にさりげなく示唆されています。見つけたとき「!」てなって、ちょっとうれしい気分でした。
「死にたい夜にかぎって」 爪切男
この本は著者の回顧録のような小説です。全体を通してみれば普通の男性が何年も付き合った女性に振られるもその人の幸せを願う割とよくある半生を描いたものですが、過程や登場人物に重いものがあります。そしてそれは誰しもそうなのではないでしょうか?自分は一般人というものはいないとこの本を読んで思いました。誰しもが大なり小なり痛みや傷があったり人には言えないナニカがあったり、でもそれを飲み下して明るくあろうと前を向いて歩こうとなんとか生きているだと思います。僕はこの本を社会人一年目で読みました。人生に辛さを感じている時に『あぁ、この著者も辛い中それでも頑張って生きて、自分を振った女性を祝福できるくらい人生謳歌しているんだな』と、僕ももう少し頑張ってみようかなとそう思わせてくれる作品でした。なにか辛いことがある人是非読んでみてください。
「はてしない物語」ミヒャエル・エンデ
こちらは海外の児童小説となります。内容は本の中の世界『ファンタージエン』で繰り広げられる王道ファンタジー、主人公は現実世界の卑屈な少年バスチアンとファンタージエンの少年アトレーユのW主人公の形となっています。物語の構成としては前半がアトレーユがファンタージエンを旅し救い手を探す冒険もの、後半がファンタージエンの中に入った救い手であるバスチアンが欲望に塗れていくものとなっていますが、前半では友愛や善意などによって悪意を跳ね除けアトレーユが旅をし成長する如何にもなものにあるのに対し、後半では前半部の光景に心を打たれ、自身もそうなりたいと願っていたバスチアン少年が欲望や、悪意に呑まれる様が、人間の成長を物語っているようで目を背けたくなる話となっています。ですがだからこそ、この小説は心に来るのだと思います。人間は成長するにつれてズルくなり、生き方が上手くなります。でも本当なりたかった自分はそういうものなのでしょうか?自身が幼い頃に憧れた大人というものはどんなものだったでしょうか?この小説はそれを僕に思い出させてくれました。この本を読み終わった時、きっと自分を見つめなおすきっかけとなるはずです。
『薫大将と匂の宮』(創元推理文庫)岡田鯱彦
今年の2月、角田光代訳『源氏物語』が完結しました。折角なので『源氏物語』を材に採った小説をご紹介したいと思います。 「薫大将と匂の宮」とは『源氏物語』で光源氏の亡き後をめぐる名高き「宇治十帖」に登場する、ふたりの貴公子の名前です。諸説ありますが、最終巻とされる「夢浮橋」を含むこの「宇治十帖」を以て、物語は真には終わっていないのではないかとされています。そして、驚くべきことに本書はその幻の続編という体裁を採っているのです。 著者は戦後に活躍した推理作家であると同時に、本名で王朝文学を研究していた国文学者。前書は「これは、私が大学を出たばかりの年だから、今からちょうど十三年まえ、本郷通りの紀ノ上書店で見つけた書物である」という一文から始まります。馴染みの古書店で、妙なものがあると主人が出してきた桐の筥に収められた書物が、紫式部自筆による『源氏物語』幻の続編だったというのです。この文学的大発見を自ら現代語訳に改めたとして、ようやく物語が語られ始まります。 本好きとしては、この前書だけで、もう胸が高鳴ります。国文学者らしく、著者は『源氏物語』のおよそ非現実的な要素を当時の文化を鑑みたり海外文学の文章表現と比較したりしながら合理的に解き明かしていきます。その手筋は名探偵のようでもあるのですが、これが小説としても重要な意味を持ちます。 なぜなら、本編となる『源氏物語』幻の続編――それは、これまで語り部であった紫式部が主人公となり、姫君の死の謎を解き明かす趣向になっていたのですから! 『源氏物語』にまつわる文学的な「遊び」が随所にちりばめられた「最古」にして最高の推理小説です。
『あたしを溺れさせて。そして溺れ死ぬあたしを見ていて。』(ヴァイナル文學選書)菊地成孔
菊地成孔さんは音楽家です。どんな方かはDCPRGやぺぺ・トルメント・アスカラールやSPANK HAPPYを聴いてください。 音楽に関する単著共著、音楽に留まらずいくつもの分野・媒体を亘っての文筆活動は実に多彩ですが、本書がはじめての小説になります。 実のところ、この本は読書会が開催されたとして「紹介する予定だった本」ではありません。おそらく誰かに(すくなくとも対面で)紹介することは一生ないと思っている本で、でも誰にも話さないままでいるには惜しいような本です。こういう機会に文章で紹介することが相応しいのかもしれません。 まず造本が異色。これは是非みなさんにお見せしたかった。いや紹介するつもりはなかったのですが。この本は本ではあるものの綴じられてはいなくて、頁の断片で構成されています。よくわからないと思うので、あとで検索してみてください。 歌舞伎町で出会った二人の若き男女が猟奇的な性行為に耽るこの小説は、それだけだったら、単なる俗悪なポルノグラフィーに過ぎません。しかし最後の一頁で嘘のように、出し抜けにある種の「文学」になるのです。 菊地成孔という「小説家」がきわめて狡知なのは、その企みが明らかになったところで、この小説の一切がチープであることにも意味が齎される点です。だからと言って、きっと誰もこの小説を読み返したいとは思わないでしょう。それを拒むように小説が、そして本がつくられているから。そして、それさえもこの「小説家」の企みです。これは、不可逆なものを書こうとした本なのです。
『広場』崔仁勲 著、吉川凪 訳
韓国の小説で、朝鮮半島の南と北の問題が描かれています。まず、ざっくりあらすじを話すと、南側で暮らす主人公は、父が北へと渡り、知人の家に住まわせてもらっている。やがて、淡い恋をしますが、父の行動が引き金となり、息子である主人公も警察からの厳しい尋問を受けることになる。主人公は故郷と呼べるような足の置き場がないまま、朝鮮戦争へ出兵し、そのまま終戦後は北でも南でもない「中立国」を望む、という内容です。この物語の主人公は特別な人間ではありません。特別な人間ではないのに、普通の幸せもうまく得られないような境遇にあるのが、読んでいて苦しくなります。そして、この主人公のような人が、実際に、何人もいたのではないかと感じさせられる。それが実感として肌に迫ってきます。よく、「自分の気持ちを変えれば世界が変わる」みたいな自己啓発本がありますが、それとは対極にあるような本です。個人が、社会に抗えない、そして、行くべき先も、自分自身も半ば喪失したような感覚になってしまう。この空気感は、本当に重たく厳しいのですが、小説として読めてよかったなと思う一冊でした。
『ひとさらい』笹井宏之
歌集です。笹井さんの歌は(すばらしい、という前提はさておいて)変なんです。たとえば「ゆるせないタイプは〈なわばしご〉だと分っている でてこい、なわばしご」とか。まるで意味がわからんものがちょいちょいあります。で、わたしの話になるのですが、ライターの仕事を始めるときに、「伝えたい事柄から先に考えて、構成を組んで、文章を書く」というのを教わりまして。それを教わってから若干文章を書くのが怖くなったんですが、それを経た後の笹井さんの歌は、余計「すごい」ってなるんですね。なんか、もう、「でてこい、なわばしご」とは、わたし、言えなくなっちゃったなあ(泣)と思ってしまう。そう、「でてこい、なわばしご」でよかったのに。なわばしごを敵視していた時代が懐かしくなる。ハウツーを知れば、たしかに少しは社会人ぽくはなるんですけど、やっぱりそれだと上辺をつくろっているような気持ちの悪さがわたしにはあるのです。だから、なわばしごとか言ってたい。なわばしごーーー。そんな気分です。以上です。
「シーソーモンスター」伊坂幸太郎
本作は、螺旋プロジェクトというプロジェクトのなかのひとつの作品です。他の螺旋プロジェクトの作品を読み進める流れで、自然と本作に出会いました。舞台は昭和で、あるサラリーマンの妻とその姑の争いを描いた物語です。妻は、国の諜報機関で働くキャリアウーマンですが、姑からの日常的な嫌がらせや悪意ある言動に悩まされています。ですが、ある出来事をきっかけに姑に殺人の疑いを持つようになり、諜報機関を使った捜査から、かなり確度の高い疑いを持つようになりました。そうしたなか、今度は妻の身に命の危険が訪れる事件がおき、さらには夫の身にも起きるようになりました。そして夫を助けるために妻は立ち上がりますが、そこで物語が急展開する描写が描かれ、クライマックスへと進んでいきます。本作は、妻と姑の争いを描いたありふれたものかもしれないですが、螺旋プロジェクト共通の設定による、ある一族と一族の争いの物語であると分かった上で読むと、古代から続く争いの変遷を感じることができて、なお面白いです。また、伊坂幸太郎さんらしく、物語序盤の伏線を回収していく様は圧巻で、読み応えある作品だと、思います。ぜひ、他の螺旋プロジェクトと合わせて読んでみてください!
「月の光」 ケン・リュウ編 劉 慈欣 他 著
「こちらあみ子」今村夏子さん
きっかけ:人から貰ったこと。ちょっとこれは、あまりにも衝撃的な本でしたよ。主人公の女の子は、よく言えば純粋、悪く言えば人の地雷を踏み散らかして反省もしない子。たまたま、ケーキの切れない非行少年たち、という本を読んだ後にこの本を読んだので、そんな彼女は、知能指数が普通よりも低いとしか感じられなかった。特別支援に該当しないまでも、普通からは溢れる、あみ子のような人は、実社会にもいるはず。そんな人がいったいどう生きればいいのか、周りはどう接すればいいのかと、悶々としてしまう本だった。とにかく衝撃的な小説。よくあんなエピソードを思い付くな・・・読んで欲しい!!!
「あひる」 今村夏子
きっかけ:こちらあみ子で、がっつり心を掴まれたため。今村夏子さんの他の作品にも手を出しました。こちらあみ子ほどの衝撃ではありませんが、こちらもなかなか。喉につっかかった小骨のような余韻が残ります。こちらあみ子、あひる。この2冊で完全に今村夏子さんワールドに魅せられてしまいました。むらさきのスカートの女も読みましたが、そちらよりもこちらあみ子。こちらあみ子の次にはあひる。ぜひ読んでいただきたい!!!
「穴 HOLES」ルイス・サッカー
シンプルでありながら奇抜なタイトルと変わった表紙に惹かれて、手に取りました。 空から落ちてきた靴を拾い、盗んだと勘違いされ捕まった少年、スタンリー・イェルナッツ。彼は刑務所に入る代わりに、少年矯正プログラム「グリーン・レイク・キャンプ」に参加することになります。そこでは毎日、1人1つ穴を掘ることを義務とされていました。 穴を掘ることもそうですが、読んでいるうちに様々な「なぜ?」が浮かんできます。その1つ1つが物語が進むにつれて繋がり合い、収斂していく展開の仕方が見事で、よくこんな風に繋げてきたなと驚かされました。 ただ、それ以上に印象深いのは、人の描き方でした。例えば主人公のスタンリー。彼は貧乏で不運で、学校でもイジメられています。 そんなスタンリーがキャンプでの生活を経て精神的に成長し、この場所でなければ出会えなかった相手と育む友情が、とても素晴らしかったです。 ジュブナイル小説が好きな方にお奨めです。
「きらきらひかる」江國香織
アルコール中毒で情緒不安定な妻と、同性愛者で恋人がいる夫による奇妙な夫婦生活を描いた作品です。お見合いで知り合い、お互いの状況を理解しあって結婚した2人は、「すねに傷持つ者同士」として支え合いながら生きていきます。しかし、周囲はそれを許してくれません。双方の親や友人は、この結婚を心配し、家事をきちんとするよう諭されたり、子供を作ることを考えろと言われたり。「このままでいいのに」と願い続けますが、そういうわけにもいかず、時は流れて事態は変化していきます。 そんな日々の中、2人の安らぎの時間はベランダから星を眺めること。正確に言うと、星を眺める夫とその姿を眺めながらお酒を飲む妻、という構図なのですが、この星を眺める時間が2人にとって落ち着く時間であり、そこで交わされる他愛無い会話も真剣な会話も、読み手にとって愛おしいものとなっています。 この情緒不安定な妻がとても健気で、個人的にとても好きです。夫と、その恋人も共に好きでいたいと願う姿が切々としています。「なんにも求めない、なんにも望まない、なんにもなくさない、なんにもこわくない。」こういう結婚があってもいいはずだと彼女は願い続けます。この作品が刊行された1991年は、同性愛者に対する目や批判は今と比べて大きかったことでしょう。そんな中で、同性愛者として生きていく夫と、それを受け容れる妻は2人ともとても苦しいのだろうとも思います。奇妙な2人の夫婦生活がどのような方向へ向かっていくのか、目が離せなくなります。大好きな小説の1つです。
「山の上のランチタイム」 髙森美由紀
美味しそうなオムライスの絵に惹かれて手に取りました。子熊のような美玖が、高身長のイケメンシェフや登校拒否のイケメン高校生と共に葵岳の小さなレストランで働き、常連さんや葵岳に登る子供達と登山客との日常を描いた作品です。とても読みやすく、出てくるお料理も美味しそうで、舌鼓を打ちました。とても元気で明るく前向きで笑顔が絶えない美玖ですが何故このレストランで働くことになったかが全体を通して描かれています。会話の流れも漫画やドラマのように軽快で笑えるそんな物語でした。人前で明るく接しなきゃいけなくて疲れた時に読みたくなる一冊です。人の暖かさに癒されます。
「教室が、ひとりになるまで」浅倉秋成
ミステリーを読みたいなと思いタイトルが気になり手にしました。とある学校で、短期間に数名の自殺者が発生し、そのほとんどがあるクラスに偏っているという不思議な偶然が起きていた。そして突然登校拒否になった隣に住む幼馴染から、これは自殺じゃなく、殺人だと打ち明けられる。次に殺されるのはその子か仲の良い女の子だと言い、真犯人を見つけて欲しいと依頼されるが、信じられずその場を後にする。そして差出人不明の手紙が届き、事態は急変する。こちらもとても読みやすい物語でした。最後の最後の伏線回収も凄く良かったです。読まれた方は分かると思いますが私はこのパターンのミステリーは初めてでした。読みながら何が起きているのかなどを一緒に解いていけるようになっていたので読書だけじゃつまらない時にはおすすめです。
「書店主フィクリーのものがたり」ガブリエル・ゼヴィン
まずタイトルに注目してみてください。「書店主フィクリーのものがたり」。「ものがたり」をあえて漢字で表記しないところに、このお話が持つやさしさを垣間見ることができますね。 ざっとあらすじを説明すると、アリス島に存在するたった一軒の本屋さん「アイランド・ブックス」を経営する偏屈な書店主・フィクリーを巡るものがたりです。彼は本の趣味がかなりニッチなことに加え、きわめて難しい性格の持ち主。「アイランド・ブックス」を訪れる島の人たちと、いつも小言の応酬を繰り広げています。 そんなある日、ひょんなことから、所蔵していた大切な稀覯本を盗まれてしまい、フィクリーはかなり落ち込んでしまいます。苦難はそれだけにとどまらず、お店に見知らぬ小さな子どもが捨てられているというダブルパンチに見舞われます。 結局、その子どもはフィクリーが引き取って育てることになるのですが、そこからフィクリー自身が少しずつ変わり始めていきます。それに従って、今までろくに本を読んだことのなかった友人たちがお店を訪れるようになり、島の人たちとの交流が進んでいきます。 余談ですが、そのろくに本を読まない友人は、最終的に読書会を開くレベルにまで到達します。読書好きからすれば、そこに至るまでの過程にはにやにやしてしまいますね。 オチまで書いてしまうと興ざめでしょうから、内容に関してはここまでとします。 あとひとつ、この小説のおもしろいポイントを紹介します。ものがたりの構成として、いくつかの章に分けられているのですが、各章のタイトルが「フィクリーがおすすめする小説」なのです。たとえば、「おとなしい凶器」、「バナナフィッシュ日和」などなど。小説が好きな人なら、どんとくるものが絶対にあるはずです! しかも、フィクリー自身のおすすめ文付き。「書店員のポップか!」と突っ込みたくなりますが、まあ、彼は書店経営者なので。 このものがたりを読み終えたときには、ひとりの読書好きの人と語り合ったかのような読後感を味わえると思います。気になった人はぜひ読んでみてください!
以上です!!
いろいろと大変な時期ですが、読書に最適な期間と思い、読書に励みましょう!!!
小説が好き!の会 【小説に限定した読書会】
小説について話したい、でも周りに小説について話せる人がいない。うまく話せる自信がない、それでも好きな小説について話したい。 そんな人たちのためのくつろぎの場所、それが「小説が好き!の会」です。 小説というのは音楽や映画と違って共有することが難しいかもしれません。だからこそゆっくりと時間をかけて、好きな小説を読んで感じた何かを、少しだけ誰かに話してみませんか? 誰かの感じた何かに触れてみませんか?
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