今回のGWは外出自粛期間のただ中にあり、読書は捗るが、感想を共有する場所がなかなかないと思い、今回テキストベースでの読書会を開催させて頂きました。
オンライン読書会も増えていますが、オンラインが苦手だったり、そもそも参加できる環境が整っていない方も多いかと思い、企画させて頂きました。
結果的には23名の方の申し込みがあり、実際にご入力頂けたのは、16名でした。
26冊の小説が紹介されました!!!
ご参加申し込み頂いた方、感想をご入力頂いた方、共に感謝申し上げます。
ありがとうございました!!
以下、紹介された小説たちになります!
感想の公開を希望された方々は感想も公開しております。
「パパ・ユーア クレイジー」作:ウィリアム・サローヤン/訳:伊丹十三
ウィリアム・サローヤンはアメリカの小説家です。
最初に読んだのは『僕の名はアラム』、
それから『ディア・ベイビー』と読み始め、何冊か読んでいます。
サローヤンの魅力はリズムを感じさせる会話、ノスタルジーを感じさせながら、人生のほろ苦さが印象に残る物語だと思っています。
その小気味よい会話が全編にわたって描かれるのが、今回紹介する『パパ・ユーア クレイジー』です。少年の「ピート」が10歳の誕生日を迎えた日、父親から一冊の本を贈られる。父親はピートに、プレゼントと一緒に仕事もあげよう、と言った。彼は小説家で、小説を書く仕事を息子にあげるというのだ。何について書けばよいのか迷うピートに父親は、おまえ自身についてさ、と諭す。そして自分は料理の本でも書こうと言った。その日を境に父親とピートは母親や妹と別れ、海辺にある父親の家で二人だけの生活を始める……というのが簡単なあらすじです。
サローヤンは実生活で結婚して息子と娘を授かりますが、離婚して晩年は独りで過ごしました。
本作はその離婚経験と自分の息子に向けた眼差しをベースとした小説になっています。
(ちなみにその眼差しを娘に向けた小説として『ママ アイラブユー』という作品もあります)
あらすじで説明した「料理の本でも書こう」というのは、これから別居生活に入って
自分で家事をすることになる今後を、遠回し且つ少しユーモアを交えながら話した表現だと思います。
この小説、山場らしい山場も、オチに向かって進んでいくスピード感もありません。
恐らくエンターテイメントとしての度合いはとてつもなく薄いでしょう。
あるのは父親と息子が家で食事をしたり、どこかへドライブで旅行に行ったり、浜辺で遊んだりといった日常風景です。
緩く、淡々とした日常の中で繰り返し行われるのが、息子と父親の会話です。
10歳のピートは何でも知りたがり、疑問を持っています。だからどんどん父親に質問する。
父親はそれに対して彼なりに、えらぶることなく、彼の経験を踏まえた上で答えていきます。
その父親の言葉1つ1つが、一番の読者として想定している実の息子に対して伝えたいメッセージとして真に迫るというか、胸に沁みるのがこの小説の魅力だと思います。
例えば父親は、この世のすべての人間が、毎日それぞれ一つの物語りを生きるのだ、と語ります。
彼らは毎日それを書くけども、言葉では書かない。そこで職業的な作家は、彼らの代りに言葉を使ってその物語りを書く、というのです。
あらすじで書いた、父親の「小説を書きなさい」という言葉は、君自身の人生をこれから生きていきなさい(生きていって欲しい)、というメッセージでもあったのかな、と考えさせられました。
このようなもの以外にも印象的な一節が、本作には様々に収められています。
サローヤンの実人生を調べると、小説の中で描かれた親子のように上手くいかなかった面も
あったようです。今回は良かった部分のみに焦点を絞って紹介させてもらいました。
個性的で少しとぼけていて、味の感じる作品です。
「八月の暑さのなかで ホラー短編集」金原瑞人 編訳
翻訳家の金原瑞人さんが選んで纏めたホラー小説短編集です。
表題作「八月の暑さのなかで」を読みたくて探していたところ、この短編集の存在を知り、手に取りました。
物凄く恐怖を感じるというよりかは、読んでいるこちらの気持ちを静かにゾッとさせる短編が多かったです。
「八月の暑さのなかで」は行間で読み取る不気味さが詰まっていて、期待通りのものを読ませてくれたと満足しています。
ホラーというと幽霊や不可思議な現象に恐怖を感じる物語をイメージしますが、それ以外の、思ってもみなかった要素に恐怖を感じるのが驚きが加味されて、自分の好みでもあります。
その部分に触れた短編だと
『もどってきたソフィ・メイソン』、『あけはなたれた窓』がとても好きでした。
「実際に幽霊を見たことがありますか?」という一節から始まる『もどってきたソフィ・メイソン』は、その言葉通りに幽霊が登場します。
その霊にまつわる怪談で物語が進んでいくかと思いきや、最終的には別の方向でゾッとさせてくれたのが堪らなかったです。
『あけはなたれた窓』はとりあえず読んでほしい、と思う短編です。
私はこれを最初に読んだ時に、きっと作者はこの話を思いついた時にほくそ笑んだに違いない、と確信するほどでした。
同時にそれは滅茶苦茶鮮やかに決まっている短編でもある、ということです。
これから暑くなってくる季節でちょうどよい本かと思いますので紹介させていただきました。
「マレ・サカチのたったひとつの贈物」王城夕紀
オンライン読書会でこの本の紹介を受け、興味を持ちました。
主人公の坂知稀は、量子病という、世界中どこにでも跳んでしまう病を抱えていました。
跳ぶ瞬間は突然に訪れ、そのとき身につけている青いものだけが一緒についてきます。
人との別れも幾度となくありました。
最初は病気に振り回され、自分の意志など関係ないと思っていましたが、次第に、跳ぶ先は人間の意志で決まってくるのだと知ります。
生きることをある意味放棄していた主人公が、自分の人生に意味を見つけ、どう生きるかを自分で選択・決断していく姿に感動を覚えました。
別れがあれば出会いもあり、数えきれない人との出会いが自分を作っているのだと思わせてくれる素敵な作品です。
「暗黒残酷監獄」城戸喜由
書店の新刊コーナーで、「賛否両論」「問題作」などと書かれた帯に目を引かれ読みました。(帯やポップ、新人賞受賞!などの言葉に弱い)
何者かに姉を殺された少年が、犯人を捜すというミステリー小説です。ただし事件の真相より、主人公の奇抜なキャラクターの方が印象に残っています。姉の死を全く悲しまない、本気か冗談かわからない不謹慎発言を連発する、高校生にして趣味が中年女性たちとの不倫!など。彼を取り巻く家族や同級生も総じて変人ばかりで、彼らとのかみ合わない会話に追いつかない突込みをいれつつ、ページをめくる手が止まりませんでした。
賛否両論の帯の通り、かなり好き嫌いが分かれる作品だと思いますが、私にとっては現時点で今年一番の大当たりだったので紹介しました。
なんとなく西尾維新の戯言シリーズや世界シリーズ、乙一のGOTHのような、倫理観のずれた作品を思い出したので、それらが好きな方にはおすすめかもしれません。
「キネマ探偵カレイドミステリー」斜線堂有紀
今気に入っている作家のデビュー作で、また私は映画も好きなので読みました。
映画マニアで引きこもりの大学生が、映画の知識を駆使して謎解きをするという、4編からなる連作ミステリーです。天才肌の変人名探偵&手を焼かされる常識人の助手という良い意味でのお約束感と、実在する名作映画の雑学を取り入れたストーリーが楽しくあっというまに引き込まれました。所謂日常の謎ものと思いきや、最終話では猟奇殺人事件が発生し、雰囲気が一変します!その事件にも映画好きならではの事情が隠されており、読みながらすかさず実物(ネタバレ防止のため曖昧な表現)を検索して確認、納得しました。
映画好きの方には共感できるところが多いと思われ、おすすめです。
「フラットランド たくさんの次元のものがたり」エドウィン・アボット・アボット
主人公は二次元世界の正方形、前半で二次元世界を紹介しつつ、後半に彼が一次元世界と三次元世界を体験するという小説です。
二次元世界というと、「マリオ」のような世界を考えてしまったのですが、実際に正方形の目線になると、「辺(線)」しか見えないのですよね。この世界では角が多いほど位が高くなる階級社会です。そして円になったものが最高位の司祭階級。しかし多くの人(?)が二等辺三角形であり、その鋭角から軍人等として働いています。世代を重ねるに連れて正三角形に近づき、そこから多角形へと変化していく可能性があるために、革命も起きずに、子孫が多角形になるのをみんな夢見て安定した世界(ディストピア?)です。辺しか見えなくても、光の加減で辺上に明暗ができるので、彼らはそれで○角形か判別できるとか。この世界は階級社会で女性蔑視の社会なのですが、これは書かれた当時の風刺的意味合いもあるそうです。本書が書かれたのは1884年英国ビクトリア朝時代。相対性理論よりも前に「次元」をテーマとして書かれていた本という意味でも面白い本です。
前述のとおり、後半で別次元との対話があります。下の次元からしたら、上の次元の来訪者は、まさに「未知との遭遇」なんです。何言ってるか理解できないんです。一方で上からしたら、何度簡単に説明してもわかってくれなくて、もやもやですけどね…そして最後に四次元について問われるのですが、全くわからなく正方形の気持ちを追体験できます…
本書は描かれている1-2次元の世界は身近で想像しやすい一方で、なるほどと思わされる数学的な面白さがあります。そして個人的にはファーストコンタクト物のSFとして面白く読みました。変わったスタイルの本を読みたい方にもおすすめです。
「なつかしく謎めいて」アーシュラ・K・ル=グウィン
こちらも異次元旅行記。ただしこちらでは「次元=世界」の意味です。
私達の世界ではplane(飛行機)とplane(飛行機)の間である空港の乗り継ぎ待ち時間、実はそこでは他のplane(次元)に行くことができるんだ、という言葉遊びから着想を得ています。そうして訪れることのできるいくつかの次元を一遍ずつ紹介する短編集(もしくは奇想エッセイ)です。(原題は""Changing Places"")
紹介される次元はどれもファンタジーやSFの世界で、どこか私達の世界の懐かしさや未来への危惧などが描写されています。どの話にも挿絵があり、想像力を補助してくれます。
例えば最初の話は「イズラック」という次元。ここの人々はありとあらゆるサイズ、形状、色を持ってます。主人公が仲良くなった女性にこの次元のことを尋ねると、衝撃の一言。「玉蜀黍なの、私。」イズラックでは科学が発展しすぎ、ありとあらゆるものの遺伝子改変が進められていました。結果多くの生物が絶滅、混ざり合い、政府がそれを禁止したときには、どの生物にも別の様々なゲノムが何%か含まれている状態。そんな中、政府は「標準をひどく逸脱している物」は破壊することに決めました。しかしすでに種というものは存在せず、何が標準なのか…といった生命科学への警鐘が描かれています。
初っ端から暗い話ですが、面白い話や怖い話、色々語られます。自分のおすすめは「アンサラック」の話。1年間が地球の24年に相当するこの次元では、人々の寿命は3年です。地球の6年間に相当する四季があり、夏と冬で北と南を往復する、渡り鳥とような生活をしています。彼らは四季に合わせて人生のステージを登っていき、渡りができなくなった4年目に、家族を送り出したあと、静かに最後を迎える…読んでいると彼らの人生や自然描写がとても美しく目に浮かびました。
著者の本はいくつか読んでいるのですが、現実世界から物語がスタートするのがどこか新鮮でした。挿絵の主人公は著者そっくりなのだけど、本当は実体験なのかしら…
SF/ファンタジーの女王が放つ新ガリバー旅行記。引きこもりが続いているので、空想でもどこかへ遠くへ行く話を求めてしまいます。
「スクラップ・アンド・ビルド」羽田圭介
羽田さんが出演しているバス旅の番組を見て、まずは芥川賞受賞作から読みたいと思い、本作を手にとりました。
羽田さんの作品の特徴として、主人公が何かに猟奇的に没入することがあります。そして、そのなかで、変化していく主人公の心境や周りとの関係性がとても文学的でかつくすっと笑ってしまうところがあり、本作、スクラップ・アンド・ビルドも存分に羽田さん節が出ています。
無職で資格勉強をする主人公と老人ホームに通う祖父が主な登場人物。主人公は資格勉強の合間に始めた筋トレにハマっており、厳しい筋トレノルマを課しています。その一方で、祖父の介護に辟易した母を慮り、祖父の運動能力を奪うべく過剰な介護をし始めます。
継続する筋トレと過剰介護のなかで、移りゆく主人公の祖父への気持ちが、文学的で素晴らしいです。また、社会的なメッセージ性の高いテーマである介護を扱ってはいますが、祖父とのやり取りのなかで、くすっと笑ってしまうような描写が織り交ぜられています。
ぜひ、読んでみてください!
「勝手に生きろ!」チャールズ・ブコウスキー
通勤途中の電車の中で、イヤホンから流れてきたとあるオフビートなラップミュージックを聴いた時に、読んでからしばらく経っていたブコウスキー『勝手に生きろ!』がふと重なった。ブコウスキーのこの破天荒な小説について語るにあたり、遠回りなようだが、自身が感じたラップミュージックとの親和性の高さを一つの軸としてみたいと思う。
『勝手に生きろ!』という小説は、チナスキーという作家志望の青年が、アメリカを放浪しながら、職にありつき、酒を飲み、女と交わり、職を辞め(辞めさせられ)、次の場所に移る、というサイクルを繰り返していく物語である。チナスキーは常に自然体だ。クールで、怠惰で、正直である。職につくと一応は真面目に働く。しかし、簡単につける職には、労働者を搾取する海千山千の上司や悪辣なシステムが常にあり、サボりの抜け道や貪欲な同僚もまた常に存在する。チナスキーは、人間や制度の「悪」をクールに見抜き、サボるチャンスも決して逃さず怠惰にやり過ごし、言い寄ってくる女と自らの欲望に正直に従ってすぐにクビになる。彼は資本主義の矛盾を目にしつつも、それ自体とは決して戦わない。彼がわずかに戦うのは、クビになった後の退職金を確保するためのみである。
このようにしてチナスキーは、何を得るでもなく、何を正すでもなく、怠惰とユーモアをまといながら、乾いた国を転々と渡り歩く。彼にとって仕事とは、まさに今日食うためのものであり、生きる目的とはなり得ない。彼が情熱を傾けるのは、そんな彼の生活をありのままに描いた「小説」である。彼は毎日小説を書き、何度でも出版社に送る。いくら落選しようが、日々蓄えられる怒りと憧れをエネルギーとして、文章に変えて届け続ける。
ブコウスキーの文章は、そんなチナスキーの潔さ(我慢のなさとも言えるが)と、次々と入れ替わる場所や人物を、小気味良く簡潔に描いていく。凝った表現や緻密な描写はほとんどないが、主語と述語が一目で分かって、リズムが良い。出来事や会話が流れるように頭に入ってくるから気持ちが良い。
ここで冒頭の「ラップ」である。けだるさを伴いつつテンポよく流れる主人公・チナスキーの日々は、あるいは簡潔で小気味良い作家・ブコウスキーの文章は、ラップミュージックのそれと一致するように強く感じる。チナスキーの目が捉える過酷でいびつな薄汚れた社会の一端は、ストリートから放たれるエネルギッシュなリリックと通底するのである。加えて、ありのままをさらけ出し、何度拒否されても未だ見ぬ誰かに向けて発信し続けるチナスキーの小説への姿勢は力強く、正直であるが故に汚い言葉使いを厭わない点もラップミュージック的である。そして、ブコウスキーの『勝手に生きろ!』は、オンビートの技巧的なラップよりも、オフビートの変則的なラップと親和性が非常に高いように思う。私がとある朝に聴いた曲は、まさしくオフビートの変則的なラップだった。『勝手に生きろ!』の背後には確かにある種のメロディが流れているし、サイクルを繰り返すチナスキーはミニマルなトラックにリリックを乗せていくかのようだ。ただし、きれいに韻を踏んで気持ちよくキメるのではなく、ビートのリズムとラップのリズムをあえてズラすオフビートさが、ブコウスキー『勝手に生きろ!』という作品の骨子であると言えるのではないだろうか。
小説の序盤から中盤にかけて、大金持ちの老人と、老人をパトロンとして一緒に生活する中年女三人が登場する。チナスキーはそのうちの一人の女性と知り合い、彼らの共同生活に潜り込む。チナスキーと女達は、奔放なうちにもどこか穏やかな時間を過ごすが、ある日老人が死ぬことでその生活は一挙に崩壊する。金のもとに集まった女達は、金だけではない老人への一握りの想いを感じさせつつも、あっという間にバラバラに散っていく。これだけでも上質な短編小説が書けそうなエピソードなのだが、ブコウスキーは実にあっさりと物語の中に配置し、淡白に切り上げる。そして最後まで一切引きずらない。こういった点からもこの作品のオフビートさを強く感じるのだ。さらに、ここでは書かない(※書けない)が、ラストシーンの最後の文章も実に挑発的で、ストーリーや表現に意味を見出そうとする思慮深い読者をあざ笑うかのようである。しかし、この作品は、決してアンチ文学を目的とした挑発や芸術性を無視した駄作ではない。オフビートではあるが、その裏では確かに、彼が敬愛する文学という名のトラックが流れている。
音楽が止まった後も、孤独な老人を囲む女達の嬌声と、チナスキーが毎夜走らせているペンの音が耳に残った。
「猫語の教科書」ポール・ギャリコ
本屋さんを巡る御書印の企画で猫に関する本だけ置いている本屋さんに行った際、購入しました。
ある編集者の元に謎の言葉で書かれた原稿が届くところから物語は始まります。なんとそれは猫が書いた人間の仕付け方だった…。
小説ではなく、猫が猫に対して書いたマニュアル本の体裁をとっています。生きるためにあの手この手で人間をコントロールし、注意を払って生きる賢い猫。猫を見る目が変わりそうな、ユーモアたっぷりの愉快な一冊です。
こんな時なので楽しい本を紹介したいなと思い、選びました。
是非読んで癒されてください!猫好きには特にオススメです。
「潮騒」三島由紀夫
有名な作品だけど読んだことがなかったので手に取りました。
島を舞台にした少年少女のラブストーリーです。
閉鎖的な空間での純愛がとても清らかで、まるで絵画の様な美しさを感じます。
圧倒的な芸術性の高さに引き込まれてしまいました。
三島由紀夫の作品はアクが強めですが、本作はとても読みやすく朴訥で苦手な方にもオススメです。
「黄色い目の魚」佐藤多佳子
きっかけは、役者の美村 里江さん(ミムラさん)がテレビで紹介されていたからです。
共学への憧れが過ぎる私にとって、この手の表紙は眩しくて感情が崩壊するばかりで害でしかないため避けているのですが、傷付きそうになったら閉じることにして、おそるおそる読み進めました。セルフ我慢大会状態。ワニワニパニックのドキドキ感です。
物語はダブル主演それぞれの生い立ちを知るところから始まります。かわりばんこ章ごとに二人の共通点が見えてきて、この二人が高校生になったときに同じクラスになれて、絵を通じて繋がることができて本当によかった!と、万歳しました。この相関図の矢印は友情?恋愛?何なの?嬉しいはずなのにダウナーをまといながら読後はサイダーをすっごくすぐさま飲みたくなる気分になれたので(実際に飲んだのはオロナミンC)初夏に芽吹く季節におすすめしたき群像劇として挙げました☆解説は角田光代さんです。
出来ることならば私だってあの頃に戻って違う人に生まれ変わりたい。コンニャロー!チクショウ!突っ走って駆け抜けて、こっぱ微塵に散りやがれ!青春なんて、きらいだ!!(笑)
「限りなく透明に近いブルー」村上龍
「夏の災厄」篠田節子
恐ろしい。読まなければよかったかもと思うくらい戦慄して、でも同時に読むべきだったと考えさせられる、コロナ禍だからこそ読みたい&読むには危険な本です。Twitterなどで『コロナ禍の予言』とも言われて少し話題になった篠田節子の隠れた名作で、わたしも篠田節子の本は割と読んでいるつもりでしたが、この本は話題にならなければずっと知らなかっただろうと思います。
埼玉県の郊外の町で日本脳炎に似た、けれども明らかに違う劇症型の未知の感染症が突如流行し、市役所や病院関係者達が行政の対応を待ちきれず必死に原因と対策に奔走するという、リアリティが不気味な現代のSF、パニック小説です。急に現れた原因も治療法も不明な感染症を前に、最初は楽観視していた病院や行政が、次々に増えていくパンデミックを前に慌てて対策を講じるが間に合わず、有効な対策を打てずに感染を広げてしまう。不安に駆られた住民たちが屋内に引きこもり、マンションからの飛び降りや犯罪が増え、あらゆるデマや役所への電話が殺到する…。確かにいまの状況に似ていて、身につまされすぎて、読み終わった後あまり寝付けませんでした。例えばこの本を昨年読んでいたら、ごく当たり前にフィクションとして読めたと思います。でもいま読むとそうは思えなくて、小説というのは(特にSFではよく言われているように)これから起こる現実の予言かもしれなくて、フィクションとして楽しむだけでなく、何が起こるかわからない現実を受け止め、生きていくための知恵を貸してくれるかもしれないと、改めて感じてしまいました。
※一応、凄まじいバッドエンドではないですが、あまり恐い話や、いまの現実がつらいので気を紛らわしたい、という方はもうちょっと落ち着いたときに読むのをおすすめします。
「メガロマニア」恩田陸
紀行文なので、正確には小説とはすこし違うのですが、外出自粛で外に出られないいま遠い異国情緒たっぷりの本書はいいかなと思い選びました。
メキシコ、グアテマラ、ペルーの古代文明を巡るレポで、恩田陸の綴る簡潔なのに色彩や匂い、暑く独特な空気を感じる文章と、要所要所で挟まれる強い日差しでくっきりと鮮やかに写る写真が、ページを捲る手をつと止まらせます。いかにも有名な観光地になっている場所だけでなく、オルメカ文明などあまり聞きなれない単語や、マヤ文明と一言で言っても中期・後期や場所によって性質の異なる遺跡について解説し、それに恩田陸自身の実況が重なることでガイド付で旅行に行ったような感覚が味わえるし、検問や長い車での移動風景、ホテルや食事、街中の喧騒なども一緒に追体験できるのが嬉しいです。
旅行番組のように映像で眺めるのも好きですが、文字だからこそさらっと流さずにじっくりと遺跡の解説を読み返せるし、写真をゆっくり見返しながら文章に書かれた温度や湿度、音を想像するのも楽しいです。マヤやインカ文明という熱帯雨林に包まれた、或いは高い山脈の上にそびえる文明は、街中で見られる世界遺産とは違い、そこに行くまでのハードルが高いせいか、冒険心をくすぐる気がします。外に出られないいま、近場の観光地やちょっと足を伸ばせば行けてしまう場所について魅力たっぷりに書かれた本はちょっと辛いので、それならば滅多に行けない場所を描いた本を…と個人的に思ったのですが、他の方はどうなんでしょう?ちなみに綺麗な写真つき、中南米の古代文明について知識も学べて、角川文庫でたった629円(税別)。お得なので、おすすめです。
「燃えよ剣(上下巻)」司馬遼太郎
いつか読もうと思い続けていた作品ですが、映画公開前(結局公開延期となりましたが…)に読んでしまいたい、と思い選びました。
新撰組の副長、土方歳三の生涯にスポットを当てた物語。上巻は多摩時代~池田屋事件後位まで、下巻はそれ以降~五稜郭の戦いまでが描かれています。正直、上巻の中盤頃まではページの進みも遅かったのですが、下巻になってからが特に面白いです。かつての仲間を失い、北へと転戦していく過程は湿っぽくなく描写され、さらに、信念をもって自らの人生の終わり方を譲らず、最後まで戦うことを選ぶ生き方には心を打たれました。流石に、ファンが多い作品&歴史上の人物だなぁ、と納得の小説でした。
「一九八四年」ジョージ・オーウェル
いつか一度は読みたいなと思っていた本でした。コロナ禍中の社会的状況もあり、今が読みごろ(食べごろみたいな…)かなと思い、読みました。
ジャンル分けするとしたらSF小説、ディストピア小説に分類されます。
1950年代に起こった(設定の)核戦争がきっかけで、全体主義によって3つの国に分割統治されたうちの一国。そこでは思想はもちろんのこと、言語、恋愛・結婚などあらゆる市民生活が統制されています。主人公・ウィンストンは歴史や記録の改ざん業務を行う役人ですが、とある複数の要因から体制への疑いを持つようになり…(ここからは伏せます)。
起承転結がしっかりあり、想像していたより読みやすかったです(私が思想に疎いので、読みづらいかもと思っていましたが杞憂でした)。主人公が大活躍する物語ではなく、きびしい統制下での悶々とした主人公の生活が物語の大半を占めますが、一市民として暮らす主人公の揺れ動く心情の描写が一番の読みどころでもあると思います。緊迫の後半部分は、ノンストップで読みすすめてしまいました。
本編後には、物語世界の言語統制に用いられていた「新語法」についての解説もあります。新語法とは「必要最低限まで簡略化した英語」のこと。この部分に興味を持たれた方にはきっと面白く読める一冊だと思います。
「森の家」千早 茜
家族についての物語です。直木賞候補作にもなった「男ともだち」を読んで以降、丁寧な言い回しを使う著者のファンになり、片端から読んでいるなか、「森の家」に出会いました。
舞台になるのは、街の中にありながら木々に囲まれ、まるで森の中のような場所にある家です。木々に守られるようにしてその家に住んでいるのは、大学生のまりもくん、まりもくんの父親(?)の佐藤さん、そして佐藤さんの年の離れた30代の恋人のみりさんという、普通ではない家族です。3人はお互いに距離を保ちながら平穏にくらしていましたが、ある日突然佐藤さんが姿を消し、物語が動いていきます。それぞれが他人に興味がもてなかったり、自分勝手だったり、幼くてわがままだったり、そんな不完全で寂しい3人が藻掻くさまを描いていきます。どうして3人が一緒に住んでいるのか、それぞれのパーソナリティがどのように形成されていったのか、物語が進むにつれ明らかになります。登場人物と同じような不完全さや寂しさは、形は違えど多くの人が抱えているのではないかと思います。だからこそ3人に自分を重ねて読むことができ、その苦しみを通じて私達の心の湖に静かに沈めてある寂しさを直視させる、そんな作品でした。あとがきにある「そこは、正しい場所でなくてもいい」という著者の家族観に、とても救われたような気分になりました。
この作品は家族についてモヤモヤしている人、失恋したときに失恋ソングを聞いて落ちるだけ落ちる人、丁寧な言葉や暮らしが好きなひとにおすすめです。今作もほんとうに文章が丁寧で綺麗!うっとりします。
「江戸を造った男」伊東 潤
江戸時代の商人、河村七兵衛(後の河村瑞賢)の生涯を描いた作品です。去年くらいから歴史小説や時代小説にハマっていて、おすすめを探していたところ、ブクログで紹介されていたので読んでみました。序盤からずっと面白くて、500ページと少し長いのですが、一気読みでした。七兵衛さんが働く姿勢は現代に働く私達に通じるものがあり、学ぶことが多く、働く人みんなにおすすめしたい一冊です!
七兵衛は、伊勢の貧しい浪人の家に生まれ、13歳の頃に叔父の家に奉公するために江戸にやってきます。そこで仕事のいろはを叩き込まれ、その後独立します。誰もやっていないことは何かを常に考えて次々と商売を興した七兵衛は、材木問屋として成功を収めますが、明暦の大火で被災し、息子の一人を失ってしまいます。しかしそこで立ち止まることなく、誰よりも早く木曽の山奥に行き、山の木材をまるっと買い占め、復興需要で大儲けします。大火の後始末をうまくこなした七兵衛は幕府の信頼を得、次々と江戸のインフラを整えるべく奔走し、最終的に旗本になるまで出世します。七兵衛の柔軟さ、仕事に対する姿勢など、物語として楽しめる以上に、学ぶものが大きいと感じました。大河ドラマになってもいい、濃厚な生涯でした。
「屍鬼」小野不由美
この小説に登場する室井清信という人物をご存じだろうか。寺の跡取り息子で、副業で小説を書いている。ちなみに32歳独身だ。
以下静信最高ポイントを挙げていこうと思う。
1,自分の中の空洞に気付いていないところ
「内部に空洞を飼っていながら、こうして詫びる幼馴染みの心根が、敏夫には今も理解できない」と幼馴染の敏夫が独白する場面がある。もう共感しかない。静信の空洞に触れてみたい。
2,クソつまんなそうな小説を書いてるところ
静信は作中で「屍鬼」という作品を書いている。カインとアベルをモチーフとした話だ。殺人を犯した兄と殺された弟。清信は何のためにこの小説を書いたのか。その理由は次の項で述べる。
3,自分を殺そうとした理由をいつまでも考えているところ
静信は大学生の時に一度自殺未遂をしており、作中でずーーーーっと自分が自殺を試みた理由を考えている。もうそんなことは忘れて未来に生きなよ!と言いたくなるけど、多分自分を殺した理由について答えを出さないと前に進めなかったんだろうなと思う。不謹慎かもしれないけど自殺痕を腕時計で隠しているところが私的萌えポイント。
こんなこと書いてますが、静信は全然タイプじゃないです。こんな考え方が面倒くさい人は嫌だ。
「ずうのめ人形」澤村伊智
人の負の感情というものは、とんでもない化け物を作り出すことがある。「あいつ死ねばいいのに…」という感情は誰もが感じたことがあると思う。この小説ではそれが実現してしまう。それはとても怖いことだ。ましてや当人がそれを自覚して使っていたとしたら…。「呪いは人が作り出すもの」と作中にある。やっぱり「呪いには手を出さないほうが賢明」なんだな。
「逃亡者」中村文則
中村文則の最新刊です。「一週間後、君が生きている確率は4%だ」という帯が印象的です。
あらすじは「第二次世界大戦時のとき、日本軍をある作戦の成功へと導いたとされる「悪魔の楽器」、そのトランペットを持ったまま逃げ続ける男の話です。彼はそのトランペットと関わってしまったがゆえに、人生を翻弄され、命は危険に晒される。でも彼には大切な女性と交わしたある約束があった。その約束を果たすために彼は逃げ続ける」といった形で、信仰や愛をテーマに描かれています。
特に信仰に関しては、第二次世界大戦時のときの話にも触れますが、主人公のルーツが長崎にあり、隠れキリシタンの血が流れていることから、江戸や明治あたりのキリスト教弾圧にまで話が及びます。「神は存在するのか、救いはあるのか」などの話にも触れ、遠藤周作の「沈黙」を彷彿とさせます。(もちろん狙ってやっていたのでしょうけど)
そしてテーマというよりは、作者が書く上で柱にしたのかなって思うのが「公正仮説世界」という考え方に沿わないし、読んだ人にこのことを考えてもらたいという点です。「公正仮説世界」というのは心理学用語のようなんですが、ようは勧善懲悪というか、「全ての正義は最終的には報われ、全ての罪は最終的に罰せられる。よって世界は公正である」という考え方を持つことです。(気になった方は調べてみてください。)その考え方は危険なんじゃないかということが、それを信じてしまうことは危険なんじゃないかということが、この作品には提示されています。正直、この作品はコロナになるなんて思って書かれた作品ではないと思いますが、この状況下で報道やSNSで見る人の行動や言動なんかをみると、いろんな思いが自分の中に渦巻くし、それはこの本の影響なのだと感じます。
面白い、面白くないでは括れない作品で、読了後にはしばらく呆然としました。でもそのあとに沸き起こった気持ちは、率直にこの作品を肯定したいという気持ちでした。それは自分の中に受け入れていき、自分なりの答えを出したいという気持ちなんだと思います。そういうところに導いてくれる作家というのはそうそういないので、中村文則の小説は必ず手に取ってしまいます。
「ザリガニの鳴くところ」ディーリア・オーエンズ
2019年、アメリカで最も売れた小説だそうです。作者は動物学者でノンフィクションはいくつか出版していましたが、小説は初。それでベストセラーになるのだからすごいなと思って読んだら納得の1冊でした。
湿地の小屋で暮らす主人公のカイアは、幼いときに、父の暴力に耐えられなくなった母が家から出て行ってしまいます。姉や兄も母に続き、出て行き、父と2人で取り残される。父と釣りを通して心を少し通わすようになったと思えば、突然父も家を去り帰ってこない。それ以来、彼女は湿地の少女と周囲から汚いものとして扱われながら生きる。学校も一日だけ行ったきり、彼女は全くそこでは安らげずに、1人で孤独に生きることを選ぶ。幼い頃から気にかけてくれて読み書きを教えてくれたテイトに心を開くが裏切られ、また近寄ってきたチェイスという女たらしの男にも心を許すが裏切られ、誰も信じることなく生きていく。そんな折りにチェイスが湿地から死体として見つかり、カイアに疑いの目が向けられる。
「ザリガニの鳴くところ」というのは、自然深く生き物がそのままの状態で生きることができる、静かな場所のこと。カイアはそこで生き、そしてそこで生きることを強く求めるようになっていく。そのカイアの視点から見る、湿地の自然がとても美しい。カイアが置かれている環境はとても残酷だけど、湿地の美しさが際立ち、時折とても安堵する瞬間がある。生きるためということもあるが、自身の好奇心からも自然を学ぼうというカイアの姿勢が胸を打つ。
物語としてもミステリー要素を持っていて、誰がチェイスを殺したのか、そもそも事故死なのかなど緊張感のある展開も続く。エンタメ要素を入れつつ、強く生きる女性を描いており、幅広い人たちが読んで楽しむことができるので、オススメです。
『世界が終わるわけではなく』(東京創元社)ケイト・アトキンソン
スキーター・デイヴィスのスタンダード・ナンバーにもなっている“THE END OF THE WORLD”に、ふてぶてしくくっついたNOT。いかにも悪戯好きな子どもが思いつきそうな言い回しを短編集に冠する。ケイト・アトキンソンは、そういうチャーミングさのある作家です。例えば収録の一編「猫の愛人」では、拾った猫が飼ううちにむくむくと飼い主と変わらないサイズにまでおおきくなって、一緒にソファに座ってくつろぐようになります。拾った時にはかよわく愛らしいペットが、いつの間にか働かないけどよく食べるヒモのように育っていくさまは、微笑ましくも、すこしいじわるなところがあります。個々の作品も、知らず知らずのうちに出来事が繋がっていたり、奇想が潜んでいたり、そういう油断のならなさも含めて読者を惹き付ける作家です。そのなかでも「シャーリーンとトゥルーディのお買い物」という小説を紹介したいと思います。まずは冒頭を引用しましょう。
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「母さんの誕生日プレゼントを買いたいの」シャーリーンがトゥルーディに言った。
「オーケー」とトゥルーディ。
「郵送できて壊れないもの」
トゥルーディは郵送可能かつ壊れにくいものを思い浮かべる。
クリスタルのデカンター。
指の爪。
卵。
心臓。
ロイヤル・クラウンダービー社のティーポット。
約束。
空しか映らない鏡面球体。
「スカーフは?」トゥルーディが案を出す。「デヴォレ加工したベルベットのものとか。デヴォレっていい響きよね」(ケイト・アトキンソン「シャーリーンとトゥルーディのお買い物」より)
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ここで挙げられる単語の羅列に惹かれるものがあったひとは、きっと二人に選ばれています。今からでも小説のなかの彼女たちをたずねて、一緒にショッピングに出掛けられるでしょう。いつの間にか二人のとなりで、気泡がはいった琥珀と見まがうばかりの蜂の巣(ハニーコーム)の瓶詰や、菫の花びら一万枚ものエッセンシャルオイルを加えた石鹸に胸をときめかせていることに違いありません。
選ばれなかったひとも大丈夫、この小説はそれだけではありません。この冒頭の他愛ないおしゃべりから思いもよらぬ広がりを見せるところに、アトキンソンという作家の魅力(チャーム)がよくあらわれています。続く文章を引きましょう。
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「アブラカタブラ」雨のなか、シャーリーンは車の流れをすり抜けるように道を渡りながらつぶやいた。「エキゾチックな言葉だわ」どこか遠くのほうで、爆弾の炸裂する音がかすかに響いた。(同)
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爆弾の炸裂する音にともなって、ラジオ局はすでに放送を中止、テレビ局もかなり前に破壊されていることが淡々と著述されます。灯火管制のもと街では一晩じゅうサイレンが響きわたり、動物園の檻から出てきた動物たちが通りを徘徊までしているのです。
何がどうして、こんなことが起きているのか、わかりません。誰も教えてくれない。この小説では、ただ一個の現象として、変わらないはずの日常が、いわば世界が終わりを迎えようとしている。本の題名には“NOT THE END OF THE WORLD”とあるものの、この小説のなかでは、やっぱりどうみても世界は終わろうとしています。
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何かが終わりを迎えるとき、それは予感をともないつつ、すこしずつ訪れます。そういうふうにして徐々に、けれども逃れようのない決定的な終わりがやってくるなか――百貨店の婦人服売り場が火の海と化すその直前まで「緑の丘に住み、星の下で眠り、森で薪を集める日々。で、家畜を飼って……」と、日常からかけはなれた夢物語を歌うように話すシャーリーンとトゥルーディ。火を前にしても「こんなことならラインストーンのベルトを盗ってきちゃうんだったな」なんて冗談を言っています。
どうしてケイト・アトキンソンは、世界の終わりを前にして彼女たちにchick-litをさせるのでしょう。彼女たちは幼さゆえに不謹慎なのでしょうか、それとも埒のない想像で現実から逃避しているのかも。いや、きっと、そのどれも正しくありません。
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シャーリーンとトゥルーディは、いつもの日常をいつもと同じようにくり返しているだけです。敬虔な修道女が主への祈りを日々くり返す行為に似ているのかもしれません。そうすることで、彼女たちは自分なりのやりかたで世界を――外側にある世界ではない、彼女たちじしんの「世界」を守っています。
だから、外側にある世界が終わりを迎えようと、彼女たちはいつものようにお買い物をして、お茶をして、たまにバーでお酒を飲み、次の日も会う約束をする。それは世界の終わりなんかよりも、もっと大切なことなのです。彼女たちの「世界」に終わりは訪れません、より素敵なものを求め続けるかぎり。
「medium 霊媒探偵城塚翡翠」相沢沙呼
設定も面白く、巧みな構造と読みやすさで楽しみながらサクサクと読めます。翡翠のキャラクターがよく、翡翠にも翻弄されます。読んだ方と翡翠について語りたくなる、そんなエンターテインメント性のある作品でした。
「ブロードキャスト」湊かなえ
湊かなえさんには珍しい青春小説(と私は思ってます)でした。放送部を舞台に上手くいかない人生やイジメ、派閥などを部活動を通して描かれています。青春って素敵だなと思いました。イヤミスは苦手だけど湊かなえさんに興味はあるなという方がいらっしゃったらお勧めしたい作品です。
以上です!!
小説が好き!の会 【小説に限定した読書会】
小説について話したい、でも周りに小説について話せる人がいない。うまく話せる自信がない、それでも好きな小説について話したい。 そんな人たちのためのくつろぎの場所、それが「小説が好き!の会」です。 小説というのは音楽や映画と違って共有することが難しいかもしれません。だからこそゆっくりと時間をかけて、好きな小説を読んで感じた何かを、少しだけ誰かに話してみませんか? 誰かの感じた何かに触れてみませんか?
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