仮想読書会#3 開催しました!!

なかなか外出も厳しく、集まることが難しい状況が続いているので、再びテキストベースでの読書会を開催させて頂きました。

オンライン読書会も増えていますが、オンラインが苦手だったり、そもそも参加できる環境が整っていない方も多いかと思い、企画させて頂きました。

結果的には13名の方の申し込みがあり、実際にご入力頂けたのは、10名でした。

ご参加申し込み頂いた方、感想をご入力頂いた方、共に感謝申し上げます。

ありがとうございました!!

以下、紹介された本と一部の感想です!!



「車輪の下」ヘルマン・ヘッセ(訳・松永美穂)

「皆殺し映画通信」柳下毅一郎

「本を読む女」林真理子

「また、桜の国で」須賀しのぶ

ポーランドにいる友人と久しぶりにリモートで話したことをきっかけに、再度手に取りました。

第二次世界大戦期のポーランドを舞台にした歴史小説です。

ロシア人の父と日本人の母、日本国籍を持ちポーランド大使館に勤める棚倉慎を主人公に、ポーランド出身のユダヤ人でカメラマンのヤン・フリードマンと、「愛国心」をよく口にするアメリカ人のレイモンド・パーカーという、「祖国」について素直に語ることのできない彼らが、世界地図から2度も消えてしまったポーランドで、どう生きたかを描いた作品です。

ポーランド孤児、ナチスのポーランド侵攻、ユダヤ人迫害、ゲットー建設、カティンの森、強制収容所、ワルシャワゲットー蜂起、そしてワルシャワ蜂起…。目を覆いたくなるようなことばかりですが、描かれているほとんどが史実です。

作中、誰しもが戦争を回避しようと奔走していました。けれど、もはやどうにもならなかった。人が人でなくなってしまった時代に、極限状態で人は何を思うのか、どう行動するのか。「人間らしく生きる」とはどういうことなのか、ものすごく考えさせられます。

せめて、何が真実で何が嘘なのか、自分の目で確かめたいと思いました。

「チョコレートコスモス」 恩田陸

幼い頃からの日常であった劇場に自由に行くことが叶わなくなってしまった今、少しでもあの世界の近くに行きたいと思い、手に取りました。

この作品は、ある舞台作品のオーディションを通し、ある女優が自分の道を見つける物語です。構成的な面では、『蜂蜜と遠雷』に近いと思います。恩田陸さんは『ガラスの仮面』へのオマージュと仰っているそうです。

天才と呼ばれる演劇界のサラブレットの東響子と、天性の才能を持つ新人女優の佐々木飛鳥を中心に描かれているこの作品は、前半は伏線も含め登場人物たちの日々が描かれていますが、後半は怒濤。オーディションの場面が進むにつれ、鳥肌を通り越し震えてきてしまうほどです。実際に劇場で舞台を見ているのかと錯覚してしまうくらいのリアリティがあります。

作中何度か出てくる舞台のシーンも、文字通り目の前に舞台が見えてきて、今自分が見たものは何だろうと、何度読んでも毎回考え込んでしまうくらいリアル。言葉の魔法だとしか思えないくらいリアルです。

天才の孤独と悩みなど、登場人物たちの心の描写も丁寧に描かれているので、物語の世界に入り込みやすく、読むたびに発見があります。

「待つ女」マリー・ダリュセック

『めす豚ものがたり』のマリー・ダリュセック作品です。『めす豚』の方をいつかご紹介できればと考えていましたが、今回は社会情勢に合わせて……

恋愛小説です。おそらく、“ロマンティック”で“切ない”恋愛小説なのだと思います。おそらく、としたのは、私自身、恋愛小説の読み方がわからないからです。

小説と呼ばれるものはほとんど愛について書かれているし、明確に男女のあれこれをピックアップしたメディアに感情を動かすのは、グルメレポートを見てお腹を空かせるようで気恥ずかしく。

この作品からはぜひ、“言語”を、“文化”を、“自然”を感じていただきたいです。そしてその総ての中に横たわる、大きな“隔たり”を。

大御所(?)フランス人女優と、アフリカ出身の駆け出し俳優がハリウッドで出会い、恋に落ちる。彼と彼女の物語。彼は、植民地時代のアフリカを描いた映画を監督することに野心を燃やし、ジャングルの奥地へ進んでいく。彼女はそれを追う……

恋をしている人はたいてい不幸なので、この小説にも“不幸の香り”がそこはかとなく漂い続けます。

2人の会話がメインで物語が進んでいくのですが、交わし合う愛の言葉の中にはいつも、少量の毒、憎しみの雫が含まれていて心がざわつきます。

何が2人をそうさせるのか。植民地支配の歴史が? 肌の色の、社会的地位の、肉体の構造の違いが?

もちろん、それらを紐解こうとして手に取るような小説ではありませんが、新しい視点は得られるかもしれません。

色々と申し上げましたが単純に面白いので、言葉が好きな方はぜひどうぞ。

あ、あと、関連したテーマの映画「ゲットアウト」を最近見て気に入ってしまいました(同じ監督の「アス」も)。どなたがご覧になってますか。

「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」 暁 佳奈

近代ヨーロッパのような時代と世界設定の物語。

少女兵として拾われた孤児のヴァイオレットは戦後、知人の郵便会社に引き取られる。初めは配達員だったが、依頼人の想いを手紙にしていくドール(代筆人)の姿を見て、かつて自分がかけられた""ある言葉""の意味を知るためドールとして働くことを決意する。

兵士として生きてきて、命令に従う以外に感情を認識してこなかったヴァイオレットが、依頼人達が伝えたい想いとその背景にある人生を知るうちに少しずつ感情や人との繋がりというものを知っていきー。というあらすじです。

依頼人達が代筆を依頼する訳やその物語が、単体でも映画になりそうなくらい濃厚で、その人生によって1つずつヴァイオレットが感情を知るのが感動的です。

アニメ版から知りましたが、原作でも充分映像的で場面がイメージできることもすごいポイントです。9月には映画も公開されるので今からならシリーズ4冊読破も間に合うかなと思いました!笑"

「イマジン?」有川ひろ

先輩の誘いで、夢だった映像制作の世界に突然飛び込むことになった良助。初めは雑用しかさせてもらえない(できない)なか、現実世界と画面の中の夢世界を繋ぐため仲間たちと駆け回りながら奮闘する!という物語。

映像化される作品が多い有川さんならではの、映像作品の舞台裏のリアルさが面白いのはもちろん、""新人で何もできず、走り回ることしかできない""という、どの仕事にも言える状態が前向きに感じられる描かれ方が素敵だなと思いました。

さらに、良助達が携わる作品が有川さんのこれまでの映像化作品を連想させるものばかりなので有川さんファンはそういう意味でも必見の作品!

『空飛ぶ広報室』『図書館戦争』『植物図鑑』あたりを読んでから読むと楽しさが倍増すると思います!

「もののあはれ」ケン・リュウ

ケン・リュウの短編は絶品です。

SF小説なので(ファンタジーもありますが)、宇宙やテクノロジーの話が出てきますが、その魅力は「人間を描いている」ところにあると思います。

ハヤカワ文庫でケン・リュウ短編傑作集としてシリーズ化されていて『紙の動物園』が最もポピュラーですが、次巻にあたる『もののあはれ』も個人的には負けず劣らずの名作揃いだと思います。

本書で一番好きなのは表題の『もののあはれ』。惑星との衝突が迫りゆく地球で、人類を選抜した宇宙船が飛び立ちます。そんな宇宙船にも危機的状況が訪れます。そこで日本人乗組員の清水大翔は「万物は流転する」という父の教えにならって行動を起こします。大翔と父の会話、親子で親しんだ俳句と囲碁、それらすべてが緊迫した宇宙空間の中で一つに結びついていきます。ヒーローとは誰であるかを教えてくれます。最後は泣きました

『円弧』は不老不死をテーマにした作品で、ストーリーがおもしろく読みやすいと思います。次の『波』も不老不死をテーマにしていますが、こちらは人類の進化の果てを描いているようで、精神的というか哲学的な話に思えました。二作を読むと、人間が抱える死の克服という命題について考えさせられます。

本書の最後に収録されているのが『良い狩りを』。少年妖怪退治師と妖狐の少女の交流を描くスチームパンク妖怪譚ですが、中盤から話はガラッと変わります。妖怪の時代は終わり、蒸気と電気の新時代になったからです。妖怪も妖怪退治も世の中から必要とされず、少年と少女はそれぞれの道を歩み、予想外の展開になっていきます。大人になった少年が成し遂げたことが救いではありますが、悲しい作品で、読後の余韻はなかなかおさまらなかったです。

本書にはあと五編収録されています。自分好みの作品を見つけてしまったら、しばらくケン・リュウから抜け出せなくなると思います。

「奔馬」三島由紀夫

『豊饒の海』四部作の二巻にあたります。

輪廻転生の設定で、主人公は生まれ変わり、情熱的に生きては若くして死ぬという運命を引き継ぎます。

一巻『春の雪』の主人公は許されない恋に燃えて、若くして亡くなりました。

対して、二巻『奔馬』の主人公は、忠義に燃えて、腐敗した政治を改革しようとテロを計画します。

忠義とは、「主君や国家に対し真心を尽くして仕えること。また、そのさま。」(辞書より)。時代は昭和初期(1932年から1933年にかけて)。

個人的に意外だったのは、華やかな恋愛ものの『春の雪』より『奔馬』の方がおもしろく読めたこと。主人公の飯沼勲の燃えるような情熱と純粋性に引き込まれました。自分もどこかで、情熱と純粋への憧れがあったのだと思います。とはいえ飯沼勲の思想や行動のすべてを肯定することはできないですが。

それと「忠義」について考えさせられました。飯沼勲は天皇陛下に差し出す握り飯の例え話で、忠義にも二種類あると説明します。「勇気ある忠義」は何をしても死ぬしかなく、「勇なき忠義」は死ぬことはなくても腐ったもので意義がない。はたして今の時代にも「忠義」(それも勇気ある忠義)はあるのか、もしくは「忠義」に変わる別の意志が存在しているのか、別の意志があるとしたらそれはどんな形なのか。そんなことを考えてしまいました。

これから本書を読む方には、前半に50ページほど小説内小説『神風連史話』があるので、ここが読みにくければネットで概要をおさらいすることをおすすめします。

『豊饒の海』四部作は長い長い物語ですが、きらびやかな文章が楽しめて、輪廻転生のロマンも感じられる作品群です。

「ある一生」ローベルト・ゼーターラー

1900年代初頭に産まれた主人公のアンドレス・エッガーの一生を描く物語。彼は幼いとき、母をなくし、引き取られた先で過酷な労働を強いられ、片足を悪くしてしまう。ただ強靱な肉体でそのハンデに関わらず、強い労働者として生きる。1人暮らしを始めたとき、雪山で瀕死の山羊飼いを助けようとしたときに「死ぬときには氷の女に出会う」と告げられる。彼は、多くは望まず、自分に与えられたものを享受し、失い、また生きて、そして人生を閉じた。

彼の人生には幸運なときは少なかったように思う。でもその少ないもので満たされているように見えたし、降りかかった不幸と最終的には共に生きていたように感じた。こういう強さは自分には持てない種類のものだと感じたし、惹きつけられた。こういう人生が結晶化していく作品に触れると人に流れる時間に対して思いを馳せることができる。特にこのエッガーの話で印象に残っているのは愛する妻と過ごした短い時間が、戦時中捕虜としてロシアに滞在していた長い時間よりも濃密に描かれているし、エッガーのなかにも残っている点です。楽しい時間は一瞬で過ぎていくけど、振り返ったときに厚みを感じることができるのだと思った。

「百年と一日」柴崎友香

33の、繋がりのない、時代も、場所もわからないような、物語が断片的に並ぶ。どれも2~8ページぐらいの長さだけど、やたらタイトルが長い。例えば「大根の穫れない町で暮らす大根がすきなわたしは大根の栽培を試み、近所の人たちに大根料理をふるまうようになって、大根の物語を考えた」など。これがタイトルです。とても印象に残った話で、自分が産まれた場所は大根の産地だったけど今暮らすところには大根がないので作ってみた。周りの人に食べてもらったけど好評。でも本当に自分が食べたかった沢庵は、気候のせいなのか、今暮らしている土地では美味しくならず、自分が食べたい味にはならず、故郷の沢庵を思い出すところで幕が閉じているのだけど、とても素敵な話だなと思った。なぜ素敵に感じるのかうまく言えないのだけど、なんかこういう当初の目的が達成できないけど、まあまあの結果や他に意図せず達成してまったものがあったりして「まあ、いいか。でも、なんか寂しいなあ」というような感情が描かれている気がしているからだと思う。そんな感じの33の物語、はまるひとは絶対はまると思うので、気になった方は是非!

『なかなか暮れない夏の夕暮れ』(角川春樹事務所)江國香織

夏といえば思い出す小説が、いくつかあります。それは神吉拓郎の「ブラックバス」で少年が今はなきテニスコートを前にして耳を澄ます幻のテニスボールが跳ねる音であったり、あるいはヴァージニア・ウルフの「サーチライト」でクラブのバルコニーに腰掛けて歓談する男女のそば石畳の遊歩道を照らす円形の光であったり……それらは夏の日の一瞬を鮮やかに切り取り、その空気までも文章のなかに封じこめます。

そういった優れた夏の小説だけをあつめた図書室があったなら『なつのひかり』や『すいかの匂い』といった書名を挙げるまでもなく、きっと江國香織の本は何冊も収められていることでしょう。

いま江國香織という作家は、たとえば『こうばしい日々』や『神様のボート』といった初期の傑作群の先を歩くうちに、いつしか私たちの想像もつかないような地点に辿り着きつつあるように思います。なにしろ現在進行形で書かれる小説どれもが、先鋭的でありながらも尽くが技巧に裏打ちされており、尚且つ奔放であり続けているのですから。まったく新しい次元で子どもの視点を語りにくみこんだ第51回谷崎潤一郎賞受賞作『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』や第38回川端康成文学賞を受賞した佳品「犬とハモニカ」を更に時間と空間を超越して大伽藍を築いたかのような意欲作『去年の雪』など、緻密と余裕が共存した(最上の意味での)“老成”を迎えています。

それでは、現在の江國香織が夏の小説を書いたとするなら、それはどのようなものになるのか。『なかなか暮れない夏の夕暮れ』は、まさにそのような問いに対する解答として書かれたかのような小説です。

一切の先入観を持たずに頁を繰ることが何よりも至福となる類の小説がありますが、贅沢なことにこの小説はその条件をも満たしています。本書については粗筋を追うことが肝要でもないので詳述はしませんが、敢えて何か書くとするなら、それは「小説を読む行為とは、誰かの人生を読むことである」という、言葉にしてみれば陳腐なことくらいでしょうか。けれども、それを生活のなかで確かに実感することは、言葉にすることほど容易くはありません。

小説に書かれている遠く隔たれた誰かの生活と、それを読む〈私〉の生活。小説を読む行為には、現実に存在する誰かの人生が与える縁やしがらみといった重力から解き放たれた気軽さとともに、その誰かと等しく、読む〈私〉の人生に与える何かが満ちています。きっと、この小説を読んだ夏も、登場人物たちと同じように特別なことのない、けれども忘れ難い時間となることでしょう。

「終末のフール」伊坂幸太郎

「死者の百科事典」ダニロ・キシュ 山崎佳代子 訳

ダニロ・キシュはユーゴスラビア出身の小説家。

この人が書いた作品で気になっていたものがあったのですが、それに挑む前に最初に予習として読んだのが『若き日の哀しみ』でした。

これは寝そべる犬と、その犬を枕のようにして横たわる少年が表紙の本で、前々から少し気になっていた作品です。

第二次世界大戦に翻弄された家族の日々を少年の目線で追いかけた連作短編集で、物語の中に詰まった淋しさや切なさ、死がものすごく身近にあったことを意識させられる語りが、

非常に印象的でした。

それからなんだか作者のことが忘れられず、どうせなら読みたいと思っていた作品だけでなく他のも読んでみるかと考え、手に取ったのが本作でした。

ダニロ・キシュは戦争と家族を描いた小説を三作出していて、それらが三部作として扱われているようです(そのうちの1つが『若き日の哀しみ』)。

今回の『死者の百科事典』はその三冊の以後に出版された短編集です。

様々なスタイルで9つの物語を取り上げた作品には必ずといっていいほど誰かの死があり、同時に想いのすれ違い、届かない想いが描かれていて、印象的な作品群でした。9つ全てを紹介するのはさすがに長くなるので、自分が印象に残った3作を簡単に紹介したいと思います。

1つ目は本書のタイトルにもなっている『死者の百科事典(生涯のすべて) Mのために』。

演劇研究所の招きでスウェーデンを訪れた「私」。

ある日舞台を観劇した後、接待役の夫人に図書館に連れて行ってもらいます。

「私」はその図書館で、世界中の無名の死者の生涯だけを集めたとされる「死者の百科事典」と出会います。

本の存在を噂程度に聴いていた「私」は百科事典を開き、自分の父親の項目を読みふける……そんな一夜を描いた短編です。

人間の日常は些細なものでありますが、よく目を凝らして見てみると1つ1つに細かな情報が詰まっていて、その中に潜んでいた感情・思いやりに心を揺り動かされる瞬間があることに改めて気付かされる作品です。

同時に、何かの形に残した状態で振り返るでないと、その想いに気付けないかもしれない切なさがあり、だからこそ文学として残さなければならない、そんな気持ちもあったのかなと考えたりしました。

『若き日の哀しみ』では父親の存在が時々顔を出して胸に沁みるものがありましたが、その時の感情に近いものが本作を読んでいて過ぎりました。

2つ目は『祖国の為に死ぬことは名誉』。

捕まった貴族の若者が絞首台に連れていかれる当日を描いた、10頁ほどの作品です。傍から見ればあっという間に訪れてしまう死の瞬間ですが、絞首台へ向かう当人、そして彼と関係のあった人間にとっては非常に長く、濃密な時間であることを痛感させられる1作です。特に終盤のとある場面が印象的で、それだけで自分的には上位にくる短編でした。

3つ目は『王と愚者の書』。

一冊の書(あるいはその一部)が各所を転々として全体主義を生み出していく過程を、ミステリ小説やルポルタージュのような形式で語っていく短編です。

その本を手にした人々はいかなる面で本に影響を受け、どのような所業を行ってきたか? 気が滅入ってくる内容ではありますが同時にスリリングであり、本に影響を受けることの負の側面も描いているのが印象的です。

この後に収録されている『赤いレーニン切手 雅歌、八章第六節』が

希望に溢れた作品なので、仮に気が滅入ってもバランスが取れます。

どの作品も個性的で印象的なものが多く、良き短編集でした(でも娯楽性は薄いです)。実はまだ最初に紹介した三部作のうちの2作を読めていないので、

これから手を出していきたいと思っています。

「ちゃんちゃら」 朝井まかて

朝井まかてさんは日本の小説家。主に時代小説を書かれている方です。

幕末の水戸藩を舞台にした歌人「中島歌子」の半生を描く『恋歌』が超絶素晴らしかったので、他の作品も読もうと思い手を出したのが本作です。

著者の作品としては2作目にあたります。

「季節の中で風がいちばんうまいのは、夏の初めだ。

それは、水面から立ち昇る涼気が木々の緑を掬いながら風になるからなのだろう。」(7Pより引用)

まずこの冒頭の一文で好きだな、となりました。

江戸の庭師一家「植辰」で修業中の元浮浪児「ちゃら」。

個性豊かな面々に囲まれながら庭師として成長を続ける彼を追いかけながら、

江戸で勢力を伸ばしつつある嵯峨流という作庭の流派との対立を描いた作品です。そもそも庭師が主人公で作庭が題材の小説は今まで読んだことがありませんでした。

家の庭というものはただ整えれば良いというだけでなく、作りようによっては住む人の気持ちにくつろぎを与え、癒すことだって出来ることを描いているのが印象的でした。

そうした気持ちにさせる為に庭師の人々がどのような庭を設計し、その庭を造る為に必要な木、石、苔は何か? を考えていく仕事の様子も良かったです。劇中に登場する一人一人が、職人として自分の身に着けた技術に誇りを持っているんですよね。だからとても気持ちが良いといいますか。

同時にその身に着けた技術が登場人物たちの行く末を左右していく。

職人たちが背負った色々なものを根っこにしてドラマが展開していくのが好みでした。

一方で、庭の中でこういう木を置いたら縁起が悪いとか、だからこれは止めてくれといった縁起事を過剰に信じてしまっている人達も出てきます。

時代劇を時々見ていると、屋敷の中に通されて畳に正座した人間が首を横に向ければ、最初に目に入るのは庭なんですよね。

庭という場所が人々にとって重要な位置を占めているんだなぁと

この本を読んで考える機会になりました。

また、登場人物達も全員活き活きとしてて良いです。

このままドラマ化しても良いくらい。

朝井さんの作品は『眩』『ぬけまいる』と近年よく映像化されているのですが、

これもいつかしないかな、と思っています。

あとこれはこの本を読んで初めて知ったのですが、庭仕事は「空仕事」と呼ばれるようです。

木の上の、空に近い場所で仕事をするからそういわれるとある作中で語られます。それを踏まえた上で先に引用した一節を読み直すと、より胸に沁みるなぁと感じました。最後はちょっと駆け足気味で話は終わりますが、それでも小気味良い物語を楽しめました。


以上です!!

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